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logizomai
ロギゾマイ
計算する・考量する・思う
C・年間30
(1)計算する
(α)計算に入れる、(あらかじめ)考慮する、請求する
(a)事物の対格を伴って
[名詞カコン〈禍・災害〉の対格]
▼1コリ一三5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを【抱か】ない。
[名詞パラプトーマ〈過失〉の対格+人物の与格で、「罰するために誰かの罪を計算に入れる」]
▼2コリ五19 つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の【責任を問うこと】なく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。
[名詞ハマルティアー〈罪〉の対格+属格の関係代名詞で、「その人の罪を勘定に入れない」]
▼ロマ四8 主から罪があると【見なされ】ない人は、幸いである。」
▼1クレメンス 五〇6
(b)受動態で
▼2テモ四16 わたしの最初の弁明のときには、だれも助けてくれず、皆わたしを見捨てました。彼らに【その責めが負わされませんように】。
(c)勘定に入れるということは「貸方に記入する」の意味にもなる
▼ロマ四4 ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと【見なされています】。
注― 働く者に対する報酬は恵みではなく(権利と)見なされる、の意味
[名詞ディカイオシュネー〈義〉の対格を伴い、「その人の義を勘定に入れる」]
▼ロマ四6 同じようにダビデも、行いによらずに神から義と【認められた】人の幸いを、次のようにたたえています。
[受動態で]
▼ロマ四11 アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と【認められました】。
(d)人物の与格と事物の対格の他に、更に「前置詞エイス+事物の対格」が続いて、「何かを何かあることとして誰かの勘定に入れる、何かと見なす」
[受動態で、「前置詞エイス+名詞ディカイオシュネー〈義〉の対格」で、「それが義として彼の勘定に入れられた」]
▼ロマ四3 聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。【それが】、彼の義と【認められた】」とあります。
▼ロマ四5 しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と【認められます】。
▼ロマ四9 では、この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それとも、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と【認められた】」のです。
▼ロマ四22 だからまた、【それが】彼の義と【認められた】わけです。
▼ガラ三6 それは、「アブラハムは神を信じた。【それは】彼の義と【認められた】」と言われているとおりです。
▼ヤコ二23 「アブラハムは神を信じた。【それが】彼の義と【認められた】」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
▼1クレメンス 十6
▽ロマ四10 どのようにしてそう【認められた】のでしょうか。割礼を受けてからですか。それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前のことです。
▽ロマ四23 しかし、「【それが】彼の義と【認められた】」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、
▽ロマ四24 わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と【認められます】。
(e)「前置詞エイス+人物の対格」を伴って、「誰かの勘定に記入する」
▼2コリ一二6 仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを【過大評価する】人がいるかもしれないし、
直訳― 誰も私の勘定につけることがないように
(β)計算の結果として、「評価する、査定する、判断する、…とみなす」
(a)「前置詞エイス+次の対格名詞」を伴って、「……とみなす・評価する」
[否定代名詞の中性対格]
▼使一九27 これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿も【ないがしろにされ】、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」
直訳― 「[何ものでもないと]見なされる」
[名詞スペルマ〈子孫〉の対格]
▼ロマ九8 すなわち、肉による子供が神の子供なのではなく、約束に従って生まれる子供が、子孫と【見なされる】のです。
[名詞ペリトメー〈割礼〉の対格]
▼ロマ二26 だから、割礼を受けていない者が、律法の要求を実行すれば、割礼を受けていなくても、受けた者と【見なされる】のではないですか。
▽ディオグネートスへの手紙 一1
(b)前置詞メタ〈の間に〉、あるいは前置詞エン〈のうちに〉を伴って、「…に数え入れる、分類する」
[犯罪人に]
▼ルカ二二37 言っておくが、『【その人は】犯罪人【の一人に数えられた】』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」
◆マコ一五28 こうして、「【その人は】犯罪人【の一人に数えられた】」という聖書の言葉が実現した。
▼1クレメンス 一六13
[敵に]
▼ヘルマスの牧者第八のたとえ 九3
(c)「不変化詞ウーク〈ない〉+受動態」で、「彼は見捨てられた、軽蔑された」
▼1クレメンス 一六3
(d)人物の対格の他に、更に「関係副詞ホース〈として〉+名詞の対格」が続いて、「誰かを何かとみなす」
[名詞ヒュペーレテース〈仕える者・家来〉]
▼1コリ四1 こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と【考えるべきです】。
[動詞ペリパテオー〈歩く〉の分詞形]
▼2コリ十2b わたしたちのことを肉に従って歩んでいると【見なしている者たち】に対しては、勇敢に立ち向かう【つもりです】。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。
注― 原文では「見なしている者たち」の方が後に来る
[名詞プロバトン〈羊〉、しかも受動態で]
▼ロマ八36 「【わたしたちは】、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように【見られている】」と書いてあるとおりです。
(e)受動分詞形で、「…とみなされて」
▼ディオグネートスへの手紙 一一2
▼ディオグネートスへの手紙 一一5
(f)人物の対格の他に、更に「人物の対格+動詞エイミ〈である〉の不定法」が続き、「誰かは…であるとみなす」
▼ロマ六11 このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと【考えなさい】。
▼1クレメンス 一六4
(2)考量する、検討する、思案する
(a)事物の対格を伴って
▼フィリ四8 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを【心に留めなさい】。
(b)接続詞ホティ節が続いて
▼ヨハ一一50 一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは【考え】ないのか。」
▼ヘブ一一19 アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると【信じたのです】。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。
(c)代名詞フートス〈これ〉の中性対格を伴い、接続詞ホティ節が続いて
▼2コリ十11 そのような者は【心得ておくがよい】。離れていて手紙で書くわたしたちと、その場に居合わせてふるまうわたしたちとに変わりはありません。
▼2コリ十7 あなたがたは、うわべのことだけ見ています。自分がキリストのものだと信じきっている人がいれば、【その人は】、自分と同じくわたしたちもキリストのものであることを、もう一度【考えてみるがよい】。
注― ここでは、「前置詞エピ〈に基づいて〉+再帰代名詞の属格」=「自分自身で」が付加されている
▼バルナバの手紙 一5
(d)前置詞エンによって、思案が行なわれる場所が示され
[自分自身の中で]
▼ヘルマスの牧者第五のたとえ 二4
[心の中で]
▼ヘルマスの牧者第九のたとえ 二八4
(e)「心に抱く、意図する、決意している」
▼ディオグネートスへの手紙 七3
[不定法動詞が続いて]
▼2コリ十2a わたしたちのことを肉に従って歩んでいると【見なしている者たち】に対しては、勇敢に立ち向かう【つもりです】。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。
注― 原文では「見なしている者たち」の方が後に来る
(f)事物の対格を伴って、「何かを考え出す」
▼2コリ三5 もちろん、独りで何かできるなどと【思う】資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。
(g)「判断する、計画する」
▼1コリ一三11 幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように【考えていた】。成人した今、幼子のことを棄てた。
(3)思う、考える、信じる、思い込んでいる
(a)接続詞ホティ節が続いて
▼ロマ八18 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないと【わたしは思います】。
(b)指示代名詞の対格を伴い、接続詞ホティ節が続いて、「このことを…と思い込んでいるのか」
▼ロマ二3 このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると【思うのですか】。
(c)「対格+不定法動詞」が続いて
[動詞ディカイオオー〈義とする〉の不定法受動]
▼ロマ三28 なぜなら、【わたしたちは】、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると【考える】からです。
[動詞エイミ〈である〉の不定法]
▼ロマ一四14 それ自体で汚れたものは何もないと、わたしは主イエスによって知り、そして確信しています。汚れたものだと【思うならば】、それは、その人にだけ汚れたものです。
[動詞カタラムバノー〈つかむ〉の不定法]
▼フィリ三13 兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは【思っていませ】ん。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
[動詞エントレポーの受動態〈尊敬する〉の不定法]
▼イグナティオスの手紙
トラレスのキリスト者へ 三2
(d)不定法動詞だけを伴って
▼2コリ一一5 あの大使徒たちと比べて、【わたしは】少しも引けは取らないと【思う】。
▼ディオグネートスへの手紙 三3
(e)関係副詞ホース〈ように〉に導かれる節の中で、「(わたしが)考えるように」
▼1ペト五12 わたしは、忠実な兄弟と【認めている】シルワノによって、あなたがたにこのように短く手紙を書き、勧告をし、これこそ神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みにしっかり踏みとどまりなさい。