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A・四旬・2
metamorphorooo
メタモルフォオー
姿を変える
(1)「姿を変える、変貌させる」。新約聖書では受動形でだけ使われる
(a)外形の、目に見える変化を表して。イエスがその天上の栄光に満ちた姿を取って、「姿を変えられた」
▼マタ一七2 イエスの【姿が】彼らの目の前で【変わり】、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
直訳ー「彼(イエス)は姿を変えられ」
▼マコ九2 六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの【姿が】彼らの目の前で【変わり】、
直訳ー「彼(イエス)は姿を変えられ」
▼ディオグネートスへの手紙二3
(b)肉体の目には見えない変化
▼2コリ三18 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に【造りかえられていきます】。これは主の霊の働きによることです。
▼ロマ一二2 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして【自分を変えていただき】、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
<解説>「姿を変える(メタモルフォオー)」
(1)用例
動詞メタモルフォオーの用例は新約聖書で上記4回。いずれの箇所でも受動形メタモルフォオマイ<変容させられる>が用いられる。
(2)用法
メタモルフォオーの基本的意味は「姿(モルフェー)を変える」。
(a)イエスは目に見える形で姿を変えた(マコ九2、並行マタ一七2)。すなわち、イエスは人間としての姿を変え、神としての姿を現した。変容は、イエスの真の姿が選ばれた三人の弟子に示される出来事である。受動形が用いられるのは、変容が神の働きによって行われたことを示すため。
(b)パウロは、この世(アイオーン)に「倣う(シュスケーマティゾー)」のでなく、心を新たにして「自分を変えてもらう」ように命じる(ロマ一二2)。それは、キリストによって、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをはっきりとわきまえる(ドキマゾー)ようになるためである。メタモルフォオーを受動形で用いるのは、こうした認識は人間の働きによるものでなく、人間の心が神の力によって変えられて初めて可能になるとパウロは考えるからである。パウロは命令形メタモルフースセ<変えてもらいなさい>を用いて、人間が神の働きを準備し、それに協力するよう求める。パウロはこうした変化が(入信・洗礼のように)一度に行われるとは思わなかった。パウロが言いたいのは、うまずたゆまず自分の内的なあり方を変えるよう努めよということである。内的変化は表にも現れる。
(c)主(キュリオス)・霊(プネウマ)は、人を造り変える力を持っている(2コリ三18)。それは、復活したキリストの栄光の姿(エイコーン)に人々を造り変えるためである。信じる者は、主の霊によって「覆いを除かれ」、主の栄光(ドクサ)、すなわち神そのものを「鏡に映し出すように(カトプトリゾマイ)見」、自分が見ている主と同じ姿になる。「栄光から栄光へと」とは、こうした変容が継続的なものであることを示す。ここでパウロは、キリスト者の中で栄光がもっと現されると言っているとも取れるし(シリア・バルク51・10)、主の栄光がキリスト者の上に満ちあふれ、キリスト者を主の姿に変えると言っているとも取ることができる。
(3)メタモルフォオーの神学的意味
以上から、メタモルフォオーには次の二つの意味があることがわかる。(a)神が人間イエスの栄光を啓示すること。また、それによってイエスの弟子が(また、聖書の読者が)イエスに関する認識を深めること。(b)キリスト者が、信仰によって、復活した主の栄光を知り、絶えず変容させられること。主を知ることによって、主を知った者自身が変わる。すなわち、キリスト者は主の栄光を知って、イエス・キリストの姿に似た者となり、神の意志をはっきりとわきまえるようになるのである。
〔EWNTによる〕