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A・年間・3

skotos
  スコトス
     暗闇・暗黒


(1)文字通りに、「暗黒、暗闇、うす闇」
(a)海の深みの暗闇や黒い雲を表して
▼バルナバの手紙一〇10
▼ペテロの黙示録一〇25
(b)太陽が暗くなった闇
▼マタ二七45 さて、昼の十二時に、全地は【暗く】なり、それが三時まで続いた。
▼マコ一五33 昼の十二時になると、全地は【暗く】なり、それが三時まで続いた。
▼ルカ二三44 既に昼の十二時ごろであった。全地は【暗く】なり、それが三時まで続いた。
▼ペテロ福音書五15
▼使二20 主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は【暗く】なり、月は血のように赤くなる。
(c)混沌とか非存在の闇
▼2コリ四6 「【闇】から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。
▼1クレメンスの手紙三八3
(d)御国からはるかに離れた刑罰の場である暗闇
▼マタ八12 だが、御国の子らは、外の【暗闇】に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
▼マタ二二13 王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の【暗闇】にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』
▼マタ二五30 この役に立たない僕を外の【暗闇】に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
▼2ペト二17 この者たちは、干上がった泉、嵐に吹き払われる霧であって、彼らには深い【暗闇】が用意されているのです。
▼ユダ一三 わが身の恥を泡に吹き出す海の荒波、永遠に【暗闇】が待ちもうける迷い星です。
(e)目の見えない状態
▼使一三11 今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、【すっかり見えなくなり】、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。
直訳ー「暗闇が[彼の上に落ちた]」

(2)転義して
(α)誰にも知られていない状態を指して、
(a)「闇の中に隠されているもの」
▼1コリ四5 ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は【闇】の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。
(β)宗教的、道徳的な闇、罪によって引き起こされる暗さ、不信仰な者や神なき者の状態を表して(反意語は「光(フォ−ス)」)
(a)人間の状態
▼マタ四16 【暗闇】に住む民は大きな光を見、
      死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
▼マタ六23 濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が【消え】れば、その【暗さ】はどれほどであろう。」直訳ー「消え」↓「暗闇[ならば]」
▼ヨハ三19 光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも【闇】の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。
▼使二六18 それは、彼らの目を開いて、【闇】から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。』」
▼ロマ二19・20 また、律法の中に、知識と真理が具体的に示されていると考え、盲人の案内者、【闇】の中にいる者の光、無知な者の導き手、未熟な者の教師であると自負しています。
▼2コリ六14 あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛につながれてはなりません。正義と不法とにどんなかかわりがありますか。光と【闇】とに何のつながりがありますか。
▼1テサ五4 しかし、兄弟たち、あなたがたは【暗闇】の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。
▼1テサ五5 あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも【暗闇】にも属していません。
▼1ペト二9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを【暗闇】の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。
▼1ヨハ一6 わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、【闇】の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。
▼1クレメンスの手紙五九2
▼バルナバの手紙一四7
▼バルナバの手紙一八1
▼バルナバの手紙五4
▼バルナバの手紙一四5・6
(b)「死の蔭」
▼ルカ一79 【暗闇】と死の陰に座している者たちを照らし、
          我らの歩みを平和の道に導く。」
(c)「(罪は)闇の業」
▼ロマ一三12 夜は更け、日は近づいた。だから、【闇】の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。
▼エフェ五11 実を結ばない【暗闇の】業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
(d)「闇の力」
▼ルカ二二53 わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。だが、今はあなたたちの時で、【闇】が力を振るっている。」
▼コロ一13 御父は、わたしたちを【闇の】力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。
(e)「この闇の世の支配者たち」
▼エフェ六12 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、【暗闇の】世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
(f)「闇を担う者、闇の犠牲者、闇の手先」
▼マタ六23 濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が【消え】れば、その【暗さ】はどれほどであろう。」直訳ー「消え」⇒「暗闇[ならば]」
▼ルカ一一35 だから、あなたの中にある光が【消えて】いないか調べなさい。直訳ー「暗闇[である]」
▼エフェ五8 あなたがたは、以前には【暗闇】でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。   (上記(1)もまた参照)


<解説>「闇・暗闇(スコトス)」

(1)用例と用法
 名詞スコトスは新約聖書の中で31回用いられる。15の新約聖書文書中に用例がある(ヨハネではスコトスの代わりにスコティアー<暗闇>が用いられることが多い)。意味は「闇・暗闇」。文字通りの意味に使われる場合と、転義的意味で使われる場合(主にパウロの手紙)の両方がある。

(2)パウロ
 パウロの手紙の中でスコトスは、「光(フォース)と闇(スコトス)」という言い方でよく用いられる。一コリ四5は、裁きとは闇の中に隠されている秘密が明るみに出されることだと言う。二コリ四6でも、パウロは同じ光と闇という比喩を用いて、救いの業を創造の業(創一3、詩一一二4参照)にたとえる。二コリ六14では、光(フォース)は正義(ディカイオシュネー)と、闇(スコトス)はアノミアー(不法)と対応させられる。
 一テサ五1−11で、パウロは、キリスト者が光に属するものであって、闇に属するものではないと言う(5節)。だから、キリスト者は、闇の中にとどまってはならない(4節)。ロマ一三12も、「闇の行い(エルガ・トゥー・スコトゥース)」(エフェ五11も参照)を脱ぎ捨てなさいと命じる(一ヨハ一6「闇の中を歩む」も参照)。
 ロマ二19の「闇の中にいる者(ホイ・エン・スコテイ)」は、「神について正しく知らない者」の意味。
 コロサイ一13は、教会の信仰告白定式で、光の領域と闇の領域という二つの領域を対比する(同様の言い方はクムラン文書でよく用いられる)。神は自分たちを闇からその愛する御子の支配下に移してくれた(一ペト二9「(神は)暗闇から光の中へと招き入れた」参照)。使二六18も、コロ一12−14と同じような表現を用いる。エフェ五8は、光と暗闇という二つの領域を対比するのではなく、信じる者そのものが「以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっている(ポテ・スコトス・ニュン・デ・フォース・エン・キュリオー)」と述べる。だから、キリスト者は「光の子として歩」まなければならない(一テサ五4以下、一ヨハ一6参照)。エフェ六12の「暗闇の世界の支配者(ホイ・コスモクラトレス・トゥー・スコトゥース)」は、キリストに打ち負かされたものの、なおキリスト者の生活を脅かしている存在。

(3)福音書・使徒言行録
 マコ一五33(並行マタ二七45/ルカ二三44)はスコトスを文字通りの意味で用いる。イエスが十字架にかけられた時、地は「(日がかげって)暗くなった」。闇は、黙示文学の中で、「神の日」の到来を示す徴候(アモ八9参照)。
 「外の暗闇に(エイス・ト・スコトス・エクソーテロン)」という表現を用いるのはマタイのみ(マタ八12、二二13、二五30)。「外の暗闇に」追い出されるのは、婚礼の礼服を来ていない客(二二13)や、役に立たない僕(二五30)。「暗闇」は「終末時の罰が下される刑場」のこと(二ペト二17、ユダ13の「深い暗闇(ホ・ゾフォス・トゥー・スコトゥース)」も同じ)。
 マタ四16およびルカ一79は、それぞれイザヤの引用(イザ九2、四二7参照)。同所の七十人訳は未来形を用いているのに対し、マタイは完了形を用いて「民は大きな光を見た」と書く。イザヤの預言が実現したことを表すためである。使二22「太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる」は、ヨエルの引用(ヨエ三4。二10、イザ一三10参照)。
 ヨハネがスコトスを用いるのは三19のみ(上記(1)参照)。光と闇の対立は、ヨハネの神学の中で重要。これは、グノーシス主義のように二つの世界が対立していると言うのではなく、人が光と闇のいずれかに裁かれることを表す。光が世に来て、神を啓示することによって、人の行いの闇が明らかにされる(三19、20、21)。だから、人は光の方に来ない。             〔EWNTによる〕