A年待降節第4主日
(あなたたちにしるしを与え信仰による従順に導くためにおとめが身ごもって男の子を産む)

第一朗読
イザヤ書 7章10―14節

10 主は更にアハズに向かって言われた。
11 「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」
12 しかし、アハズは言った。
「わたしは求めない。
主を試すようなことはしない。」
13 イザヤは言った。
「ダビデの家よ聞け。
あなたたちは人間に
  もどかしい思いをさせるだけでは足りず
わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。
14 それゆえ、わたしの主が御自ら
  あなたたちにしるしを与えられる。
見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマヌエルと呼ぶ。」
第一朗読 
イザヤ書 7章10―14節

  おとめ・アルマー

 この語は若い女性を表す言葉です。イサクの花婿を探しにアブラハムの故郷に向かった僕は、泉の傍らに行き、水を飲ませてくれた「おとめ」が神の望む花嫁だ、と心に決めます(創24:43)。ファラオの王女はナイル河畔の葦の茂みに見つけた赤子モーセのために乳母を求めますが、そのときモーセの姉を「娘」と呼んでいます(出2:8)。
 これら二つの用例では、明らかに「未婚の若い女性・処女」を意味していますが、雅六8「王妃が六十人、側女が八十人、<若い娘>の数は知れない」では、王妃や側女と一緒に使われており、「既婚の若い女性」の可能性が高いと思われます。アルマーは「若い女性」を表す言葉であって、既婚であるか、未婚であるかは問われない、と見るべきです。
 今週の朗読のアルマーを七十人訳は「処女」を表すギリシア語に翻訳しました(マタ1:23はこの七十人訳からの引用)。しかし、イザヤ自身が「処女」を考えていたかどうか疑問と言わざるをえません。旧約聖書が「メシア」を表すとき、母がどのような女性であるかには興味を持っていないからです。

 

 

第二朗読
ロ―マの信徒への手紙 1章1―7節

1 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、----
2 この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、
3 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
5 わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。
6 この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。----
7 神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

第二朗読 
ロ―マの信徒への手紙 1章1―7節

  使徒・アポストロス

 この語は古典ギリシア語では「遠征艦隊」や「司令官」を意味し、ユダヤ人によるギリシア語文献では、ヨセフスが一度だけおそらく「派遣」の意味で用いています。
 新約聖書では、まず「使者、派遣代表、使節」の意味で用いられますが、この意味での用例は3例だけです。僕は主人にまさらず、「遣わされた者」は遣わした者にまさることはありません(ヨハ13:16)。
 次に、「神からの使い」を表します。神の知恵は預言者や「使徒たち」を遣わすと言い(ルカ11:49)、イエスは私たちが公に言い表している「使者」であり、大祭司です(ヘブ3:1)。
 特に「使徒」と訳され、イエスに従って福音を告げ知らせる者を意味します。パウロや十二人を指すだけでなく(1コリ1:1、マタ10:2、ルカ22:14)、このような特定の人物以外にもこの語は用いられます。「使徒」にはイエスに選ばれた者という意味合いが含まれており、パウロはそれを「召された使徒」と述べます。この事実が異邦人宣教の使命を果たす力をパウロに与えています。

 

 

今週の福音
マタイによる福音書 1章18―24節

18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
23「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れた。
今週の福音 
マタイによる福音書 1章18―24節

  天使・アンゲロス

 この語は基本的には「ある人物から他の人物に派遣された使者」を表します。洗礼者ヨハネはイエスが来るべき方であるかを尋ねさせるために「使い」を送りました(ルカ7:24)。
 しかし、多くの用例では「神と人間との間に位置する天的な被造物である天使」に使われます。悪魔の「手下」や堕落した「天使」にも使われますが(マタ25:41、2ペト2:4)、ほとんどは神からの「天使」を表します。ヨセフの夢に現れた「主の天使」はマリアとの結婚(マタ1:20)、エジプトへの避難(マタ2:13)、エジプトからの帰国を告げます(マタ2:19)。ルカ福音書では「主の天使ガブリエル」がザカリアに洗礼者ヨハネの誕生を告げ(ルカ1:11)、マリアにイエスの誕生を告げます(ルカ1:26)。
 また、「天使」は荒れ野のイエスに仕え(マコ1:13)、ゲツセマネでは祈るイエスを力づけ(ルカ22:43)、婦人たちに復活を知らせ(マタ28:2、5)、使徒たちの福音宣教を助けます(使五19、12:7、27:23)。

 

 

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