A年年間第3主日
死の陰の地に住む者が福音を告げ知らせるためイエスに従った

第一朗読
イザヤ書 8章23b―9章3節

23 先に
   ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが
   後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた
   異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。
1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見
   死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
2 あなたは深い喜びと
   大きな楽しみをお与えになり
   人々は御前に喜び祝った。
   刈り入れの時を祝うように
   戦利品を分け合って楽しむように。
3 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を
   あなたはミディアンの日のように
   折ってくださった。
第一朗読 
イザヤ書 8章23b―9章3節

   死の陰・ツァルマーヴェト

この語は名詞ツェール〈〉と名詞マーヴェト〈〉とからなる合成語だとされます。まず、文字通りに@「深い陰・暗闇」を表します。神は「闇」を朝に変える方ですが(アモ5:8)、神の心が理解できずに涙を流すヨブのまぶたは「死の闇」がくまどりとなりました(ヨブ16:16)。
次に転義して、A「苦難・並はずれた危険」を意味します。人は闇と「死の陰」に座るような者となることもありますが(詩107:10)、「暗黒」の地である荒れ野を導かれた方(エレ2:6)を信じる者は、「死の陰」の谷を歩むときも、災いを恐れることがありません(詩23:4)。
最後にB「死者の世界」を表す言葉として使われます。ヨブは二度と帰って来られない暗黒の「死の闇」の国に行ってしまう前に、自分を痛めつける神が離れ去ることを願っています(ヨブ10:21)。
今週の朗読では、Aの意味で使われています。サマリアをのぞく北イスラエル領はアッシリアに奪い取られていますが、その地の住民の「苦難」を指して「死の陰」と表現しています。
 

 

第二朗読
コリントの信徒への手紙 T 1章10―13、17節

10 さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。
11 わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。
12 あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。
13 キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。
17 なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。
第二朗読 
コリントの信徒への手紙 T 1章10―13、17節

  兄弟・アデルフォス

 接頭辞ア〈一緒〉とデルフュス〈母胎〉が組み合わされた語であり、「同じ母胎から生まれた者」を意味します。
 まず、文字どおりに「血のつながった兄弟」を表し、複数形のアデルフォイは「兄弟姉妹」の意味で用いられることもあります。ユダとその「兄弟」の父はヤコブであり(マタ1:2)、イエスは二組の「兄弟」、ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネを弟子として呼び出しました(マタ4:18、21並行)。
 次に、転義して、同じ民族に属している「同胞」を意味し(使2:29、3:17、7:23、ロマ9:3)、さらに、より広い意味で、精神的な絆によって結ばれた者が「兄弟」と呼ばれます。また、民族や信仰の交わりに関係なく「隣人」を意味することもあります(マタ5:22、7:3)。
 新約聖書では、イエス・キリストの教えを聞き、神の思いを行い、イエスを信じる者が「兄弟」と呼ばれます。イエスを長子とする「兄弟」にふさわしい態度は、キリストに倣って愛することです。パウロが「兄弟」と呼びかけるとき、キリストに似た者となるようにとの願いが込められています。
 

 

今週の福音
マタイによる福音書 4章12―23節

12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。
13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。
14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
15「ゼブルンの地とナフタリの地、
湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
異邦人のガリラヤ、
16 暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
18 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。19 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
20 二人はすぐに網を捨てて従った。
21 そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。
22 この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った
23 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。
今週の福音 
マタイによる福音書 4章12―23節

   ガリラヤ・ガリライアー

 今週の福音に「異邦人のガリラヤ」とありますが、これはガリラヤ地方の歴史的な事情を反映しています。ガリラヤはイスラエルの北の国境に接しているので、アッシリアをはじめとする北の大国の支配下に常に置かれがちで、捕囚や異邦人の移住が繰り返されました。こうして、住民の大半は純粋なユダヤ人ではなくなり、軽蔑の対象とされてゆきました。
 このようなガリラヤの、しかも名もないナザレで育ったイエスは、その宣教をガリラヤで開始し、その主要な舞台もガリラヤでした。今週の福音でも、マタイはイザヤ書9章を引用することによって、イエスこそ旧約が預言していたメシアであることを示そうとしています。
 エルサレムの指導者によって拒絶され、十字架に死んだイエスは、予告どおりに復活した後、ガリラヤの山の上で弟子たちに出会います。そこでイエスは彼らに「すべての民をわたしの弟子にしなさい」と命じた、とマタイは書いています(28:19)。



 

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