A年三位一体の主日
憐れみ深く恵みに富む神愛と平和の神神は、その独り子をお与えになった

第一朗読
出エジプト記 34章4b―6・8―9節

 4b モーセは朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。
  5 主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。
  6 主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ちた者。」
 8 モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、
  9 言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」
第一朗読 

     首筋・オーレフ

 今週の朗読でイスラエルは「かたくなな民」だとされていますが、この「かたくなな民」を直訳すれば「首筋の固い民」となります。名詞「首筋(オーレフ)」の用法は二つに分かれます。まず、誰かの前で向きを変えて逃げる人に使われます。民は「敵に背を向けて逃げ出しました(直訳―敵前で首筋をひるがえす)」(ヨシュ7:12)が、それは神との契約を無視したからです。また、木や石を礼拝する民は、「わたし(神)に顔を向けず、かえって背を向けた(直訳―私に顔を向けずに、首筋を向けた)」人たちです(エレ2:27)。
 しかし、「首筋の固い民」と言えば、「神に従えない強情さ」を表します。イスラエルは「首筋の固い民」だと神に告知されたとき、彼らはそれを嘆いて神に従おうとしますが(出33:3・5)、本性は変わりません。そこでモーセは、民の正しさが約束の地をもたらしたのではなく、「首筋の固い民」であるのに、神が与えてくれるのだと説きます(申9:6)、神が救いを前もって告知するのは、鉄の「首筋」を持つ民が偶像の働きだと誤解しないためです(イザ48:4)。

 

 

第二朗読
コリントの信徒への手紙二 13章11―13節

 11 終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。
  12 聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。
 13 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。
第二朗読 

   交わり・コイノーニアー

 新約聖書の用例19回のうち、13回はパウロ書簡での用例です。パウロはこの語をもっぱら宗教的な意味で用います。
 まず、この語は「結びつき、共有、交わり、親しい関係」を意味します。キリスト者は、御子や聖霊や神との「交わり」の中にあり、(1コリ1:9、フィリ2:1、1ヨハ1:6)、兄弟との「交わり」を保ちます(1ヨハ1:7)。
 この「交わり」は「寛大さや仲間意識」を伴い、そのしるしとして「贈り物や寄付」が行われます。キリスト者が貧しい人々を「援助すること」に喜んで同意するのは(ロマ15:26)、神が善い行いと「施し」を喜ぶからです(ヘブ13:16)。
 さらに、「参与、あずかること」を意味します。キリストの苦しみに「あずかって」復活に達することをパウロは願い(フィリ3:10)、マケドニアの教会は慈善の業と奉仕への「参加」を願い出ました(2コリ8:4)。キリストの血と体に「あずかること」によって(1コリ10:16)、人は新しい命を与えられます。
 聖霊との「交わり」にある者は、聖霊がもたらす兄弟の交わりの中で、神の愛と恵みを現す者となります。
 

 

今週の福音
ヨハネによる福音書 3章16―18節

 16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
  17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
  18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。
今週の福音 

   独り子・モノゲネース

 この語はルカ福音書とヨハネ福音書とヘブライ人への手紙にのみ使われる言葉です(全用例9)。まず、人間の「一人っ子」を指します。イエスによってよみがえったナインのやもめの子供は「一人息子」でしたし(ルカ7:12)、同じようによみがえったヤイロの娘も「一人娘」でしたし(ルカ8:42)、悪霊を追い出してもらえた息子も「一人息子」でした(ルカ9:38)。
 しかし、ヨハネ福音書では神とイエスのユニークな関係を示すためにこの語を用いています。神は「独り子」を世に遣わしましたが、それは人が生きるためであり、神の愛を示すためでした(1ヨハ4:9)。イエスは神の「独り子」なので、イエスを信じなければ、すでに裁きを受けてしまっています(ヨハ3:18)。また、イエスは神のふところにいる「独り子」ですから、いわば神に関する目撃証言を語ることができる方であり、神を示すことのできる方です(ヨハ1:18)。イエスは神との比類のない関係の中で神を知る方なのです。



 

今週の朗読のキーワードに戻る