A年年間第11主日
あなたたちは見て和解させていただいた今は「天の国は近づいた」と宣べ伝える

第一朗読
出エジプト記 19章2―6a節

2 彼らはレフィディムを出発して、シナイの荒れ野に着き、荒れ野に天幕を張った。イスラエルは、そこで、山に向かって宿営した。
3 モーセが神のもとに登って行くと、山から主は彼に語りかけて言われた。
   「ヤコブの家にこのように語り
   イスラエルの人々に告げなさい。
あなたたちは見た
   わたしがエジプト人にしたこと
   また、あなたたちをの翼に乗せて
   わたしのもとに連れて来たことを。
5 今、もしわたしの声に聞き従い
   わたしの契約を守るならば
   あなたたちはすべての民の間にあって
   わたしの宝となる。
   世界はすべてわたしのものである。
6 あなたたちは、わたしにとって
   祭司の王国、聖なる国民となる。
第一朗読 

     鷲・ネシェル

 聖書に登場する鷲(ネシェル)は、現在は絶滅の危機にあるシロエリハゲワシのことだとされます。この鷲は両翼を広げると三メートルになる大型の鳥であり、死んで腐敗した生き物をも食べることから、食用を禁じられた汚れた鳥とされていますが(箴30:17、レビ11:13)、羽毛が生え変わること、また長命であることから、再生力の象徴にもなります(イザ40:31)。
 またスピードの速い鳥ですから、すばやく襲い掛かる敵(ホセ8:1)や俊敏な人間を表すためにも使われます(サム下1:23)。さらに、人の近づくことのできない岩棚に巣をつくり、ヒナを強い日差しや寒風から守り、幼鳥の初飛行の際には、申32:11が「鷲が巣を揺り動かし、雛の上を飛びかけり」と述べるように、彼らを励まし勇気づけ、場合によっては羽を広げて雛を「捕らえ、翼に乗せて運ぶ」ことがあるほど幼鳥に気配りする鳥ですから、民を導く神の愛を表すたとえにもなります。
 今週の朗読では、エジプトから民を導き出した神が、雛を翼に乗せて運ぶ鷲にたとえられています。

 

 

第二朗読
ローマの信徒への手紙 5章6―11節

 6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
  7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
  8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
  9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
  10 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
  11 それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。
第二朗読 

   誇りとする・カウカオマイ

 この語は「自慢する、誇る、得意がる」を意味します。福音書には現れず、37回の用例のうち35回がパウロ書簡(第二パウロ書簡も含めて)に用いられます。
 ユダヤ人は神を「誇り」(ロマ2:17)、律法を「誇りとし」ながら(ロマ2:23)、律法を破って神を侮っているとパウロは批判します。さらにパウロは、肉や外面を「誇る」者を非難し(ガラ6:13、2コリ5:12)、ヤコブは「誇り」高慢になることを責めます(ヤコ4:16)。
 それに対して、パウロが「誇る」のは、主であり(1コリ1:31)、キリスト・イエスであり(フィリ3:3)、苦難であり(ロマ5:3)、自分の弱さ(2コリ12:9)です。神はだれ一人神の前で「誇る」ことがないようにするために、世の無に等しい者を選びました(1コリ1:29)。ですから、私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに「誇る」ものが決してあってはなりません(ガラ6:14)。
 パウロは、自慢につながる誇りを徹底的に否定します。彼には、キリストの十字架に見た神の愛のほか「誇る」ものはありません。神だけが、苦難を耐える希望を与える力を持つ方だからです。
 

 

今週の福音
マタイによる福音書 9章36節―10章8節

 36 また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
  37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
  38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
 1 イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。
  2 十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
  3 フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、
  4 熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。
 5 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。
  6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。
  7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。
  8 病人をいやし、死者を生き返らせ、らい病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
今週の福音 

   熱心党・カナナイオス

 この語は新約聖書ではマタ10:4とその並行箇所マコ3:18で、十二弟子の一人、二番目のシモンの添え名としてのみ使われています。この語は「カナ出身の人」の意味にもなりえますが、ルカ6:15と使1:13のリストではシモンの添え名は「熱心党(ゼーローテース)」とあるので、この語をアラム語カナーナッヤー〈熱心な人〉のギリシア語化と説明するのが普通です。新共同訳もこの解釈に立ち、「熱心党」と訳しています。
 熱心党の起源は明白ではありませんが、「ローマに対するユダヤ独立戦争の戦士」であったのは確かです。この運動はただ政治的なもので終わらず、「神のための熱心」という宗教的な側面をも強くもっていました。ですから、彼らは「YHWHのほかに主はなく、神殿のほかに税はなく、熱心党のほかに友はない」というスローガンを掲げ、ローマへの抵抗運動をしばしば立ち上げました。
 しかし、70年のエルサレム滅亡をはじめ、ローマの弾圧によって、制圧されてゆきました。



 

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