A年年間第23主日
神の警告を伝え隣人を自分のように愛し兄弟を得る

第一朗読
エゼキエル書 33章7―9節

 7 人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。
  8 わたしが悪人に向かって、『悪人よ、お前は必ず死なねばならない』と言うとき、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪のゆえに死んでも、血の責任をわたしはお前の手に求める。
  9 しかし、もしあなたが悪人に対してその道から立ち帰るよう警告したのに、彼がその道から立ち帰らなかったのなら、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。

 

 

 

第一朗読 
エゼキエル書 33章7―9節

      見張る・ツァーファー

 この語は「警戒する・見回す・見張る」を意味します。YHWHはラバンとヤコブの間を「見張り」(創31:49)、その御目は国々を「見渡し」、背く者の驕りを許しません(詩66:7)。また、知恵に満ちた有能な妻は一族の「様子によく目を配り」、怠惰をむさぼることがないし(箴31:27)、神に信頼する者は朝ごとに御前に訴え出て、神を「仰ぎ望みます」(詩5:4)。
 しかし、この語に特徴的な用法は、分詞形で使われ、「見張り人」を表すことです。エルサレムに立つ「見張り人」はYHWHがシオンに帰るのを見て喜びの声をあげます(イザ52:8)。さらに、この用法が転義して預言者を表す表現となります。YHWHはエレミヤを「見張り」として立て、耳を澄まして角笛の響きを待てと指示するが、民はそれを拒みます(エレ6:17)。また、神が「見張り」として立てたのに、その職務を果たさない預言者もいますが(イザ56:10)、エゼキエルも「見張り」とされ、神に代わって民に警告を与えます(エゼ3:17)。今週の朗読でも、この意味で使われています。
 

 

第二朗読
ローマの信徒への手紙   13章8―10節

 8 互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。
  9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。
  10 愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。
第二朗読 
ローマの信徒への手紙   13章8―10節

      借りがある・オフェイロー

 まず、文字どおりには「金銭的な負債を負う」を意味し、転義して「負う、恩義がある」を意味します。さらに、不定法を伴って「…しなければならない」の意味を表しますが、新約聖書のほとんどの用例はこの用法に属しています。
 新約時代のユダヤ教は神と人間との関係を債権者と負債者の関係によって表しましたが、イエスも「負債を負う者」という比喩を使って、人間が神に対してどのような状況にあるかを明らかにします。マタ18:24の一万タラントンという数字は、人間がかかえた負債が返済できない莫大なものであることを表します。この負債は神の憐れみによって赦される以外に、除かれることはありません。イエスは、ファリサイ派が考えたように、犯した悪行を善行によって償うのがいかに不可能であるかを見抜いていました。
 今週の朗読は、人間には互いを愛するという「借りがある」と述べています。なぜなら、人は返済できない負債を負ったまま、神に愛されたからです。神から無償の愛を借りている私たちは、隣人への愛によってそれを返してゆきます。
 

 

今週の福音
マタイによる福音書 18章15―20節

 15「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。
  16 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。
  17 それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
 18 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
  19 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
  20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
今週の福音 
マタイによる福音書 18章15―20節

      つなぐ・デオー

 この語は次のように使われます。まず@「束ねる・縛る」を意味します。遺体を亜麻布で「包み」(ヨハ19:40)、悪霊に取りつかれた人を鎖で「縛りました」(マコ5:3―4)。回心以前のパウロはイエスの御名を呼び求める人たち(=キリスト者)を「縛る」権限をもっていましたが(使9:2など)、回心後は主イエスのために「縛られる」ことになりました(使21:13など)。しかし、神の言葉は「つながれる」ことがなく(2テモ2:9)、霊によって「縛られた=促された」パウロはエルサレムに行きます(使20:22)。
 次にA「ある場所につなぐ」ことを表します。子ろばの「つないである」のを二人の弟子は見つけます(マコ11:4)。
 さらにB「律法や義務につながれている」の意味にもなります。結婚した女は律法によって夫に「結ばれています」(ロマ7:2)。
 今週の福音では、反意語「解く(リューオー)」と一緒に使われ、律法の禁止事項(つなぐ)と許可事項(解く)を説明する権限を表しています。



 

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