A年年間第30主日
エジプトの国で寄留者であったが主に倣う者となり隣人を自分のように愛しなさい

第一朗読
出エジプト記 22章20―26節

 20 寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。
 21 寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。
  22 もし、あなたが彼を苦しめ、彼がわたしに向かって叫ぶ場合は、わたしは必ずその叫びを聞く。
  23 そして、わたしの怒りは燃え上がり、あなたたちを剣で殺す。あなたたちの妻は寡婦となり、子供らは、孤児となる。
 24 もし、あなたがわたしの民、あなたと共にいる貧しい者に金を貸す場合は、彼に対して高利貸しのようになってはならない。彼から利子を取ってはならない。
  25 もし、隣人の上着を質にとる場合には、日没までに返さねばならない。
  26 なぜなら、それは彼の唯一の衣服、肌を覆う着物だからである。彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。わたしは憐れみ深いからである。
第一朗読 
出エジプト記 22章20―26節

   寄留者・ゲール

 この語は動詞グール〈滞在する〉から派生した名詞形で、次のような人々を指します。@「その社会に固有の権利をもたない、一時的な滞在者」のことです。例えば、ヘブロンでのアブラハム(創23:4)、エジプトにおけるイスラエル(出22:20b)ですが、エレ14:8「イスラエルの希望、苦難のときの救い主よ。なぜあなたはこの地に身を寄せている人のようになっているのか」では、民を救おうとしない神に使われています。
 しかし普通にはA「イスラエルに滞在する外国人で、限られた権利しか与えられていない寄留者」を表します。彼らは安息日の保護のもとにあり(出20:10)、割礼を受ければ祭儀に参加することもできたし(レビ17:8)、義務も果たさなければなりませんでした(出12:19、レビ18:26、民15:14、エゼ14:7)。しかし、市民権をもたない彼らはともすれば虐待されがちでした(エゼ22:7)。そこで、今週の朗読にも見られるように、イスラエル自身がエジプトで寄留者であったことを指摘して、寄留者を虐待することを禁じる戒めも多く見られます(レビ19:33、申24:14)。
 

 

第二朗読
テサロニケの信徒への手紙 T 1章5c―10節

 5c わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。
6 そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり
7 マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。
8 主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。
9 彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、
10 更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。
第二朗読 
テサロニケの信徒への手紙 T 1章5c―10節

   救う・リュオマイ

 この語は、危険から「救い出す」を意味し、多くの場合、その危険は重大なものとして見られています。
 主の祈りでは、悪い者から「救ってください」と祈り(マタ6:3)、パウロはユダヤにいる不信の者たちから彼が「守られる」ようにと祈り(ロマ15:31)、道に外れた悪人どもから「逃れられる」ようにと祈っています(2テサ3:2)。神はパウロを迫害から(2テモ3:11)、死の危険から(2コリ1:10a)、闇の力から(コロ1:13)、「救い出しました」。主は信仰のあつい人を試練から「救い出し」、正しくない者たちを罰するべきだと考えています(2ペト2:9)。祭司長は長老たちや律法学者と一緒に、十字架のイエスに神に今すぐ「救ってもらえ」と言って、侮辱しました(マタ27:43)。
 「救う方」はシオンから来ると約束した神は、イエスを十字架から下ろすことはせず、死者の中からイエスを復活させ、天に上げました。今週の朗読は、イエスは来るべき神の怒りから私たちを「救う」ために再び来ると教えます。神がイエスを十字架に留めたのは、この救いを私たちに与えるためです。
 

 

今週の福音
マタイによる福音書 22章34―40節

 34 ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。
  35 そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
  36「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
  37 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
  38 これが最も重要な第一の掟である。
  39 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』
  40 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」
今週の福音 
マタイによる福音書 22章34―40節

   基づく・クレマンニューミ

 この語は新約聖書では7回使われています。文字どおりには「掛ける・つるす」、あるいは「掛かっている。つるしてある」を意味します。イエスを信じる小さな者をつまずかせる者は大きな石臼を首に「懸けられて」、深い海に沈められるほうがましだ、とイエスは教えます(マタ18:6)。パウロの手に蝮が「ぶら下がり」ましたが、彼は火の中に振り落とし、何の害も受けませんでした(使28:4)。しかし、最も特徴的な用例は「人を木にかける」であり、処刑されて、木につるされた状態を表します。ユダヤ人はイエスを木に「つけて」殺しましたが、神はイエスを復活させました(使5:30、10:39、ガラ3:13)。犯罪人もイエスと一緒に十字架に「かけられました」(ルカ23:39)。
 今週の福音では、転義した意味で使われています。扉がちょうつがいによって柱に掛かっているように、律法全体と預言者の言葉は二つの愛の掟に「掛かる=基づく」ことによって意味ある指示になります。



 

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