A年王キリスト主日
公平をもって彼らを養いすべてにおいてすべてとなられるためその栄光の座に着く

第一朗読
エゼキエル書 34章11―12、15―17節

 11 まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。
  12 牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。
 15 わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。
  16 わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う
 17 お前たち、わたしの群れよ。主なる神はこう言われる。わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。
第一朗読 
エゼキエル書 34章11―12、15―17節

   憩わせる・ラーヴァツ

 この語は30回(カル形で24回、ヒフィル形で6回)使われます。今週の朗読では15節でヒフィル形で、また朗読からは割愛された14節ではカル形で使われています。
 カル形としては@文字どおりに動物が「伏す」を意味します。井戸のほとりには羊の三つの群れが「伏して」いました(創29:2)。敵対する者のろばが「倒れ伏している」のを見たら、彼と共に助け起こさねばなりません(出23:5)。A動物が「伏す」ことが比喩的な意味で使われることもあります。家畜の群れが「伏す」のは町が荒廃したからです(イザ17:2)。しかし、豹が子山羊と「伏し」、牛も熊も共に「伏す」のはメシアによる絶対的な平和が到来したからです(イザ11:6―7)。動物はねぐらに「うずくまる」ことによって神の創造を賛美しています(詩104:22)。B人が「伏す」ことも表します。ヨブの友人はヨブが神に向かって手を伸べるなら、安らかに「うずくまって眠る」ことができると説きます(ヨブ11:19)。
 ヒフィル形では、「伏させる=憩わせる」の意味で使われます(エレ33:12)。
 

 

第二朗読
コリントの信徒への手紙 T 15章20―26、28節

 20 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。
  21 死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。
  22 つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。
  23 ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、
  24 次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。
  25 キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。
  26 最後の敵として、死が滅ぼされます。
 28 すべてが御子に服従するとき、御子自身も、すべてをご自分に服従させてくださった方に服従されます。神がすべてにおいてすべてとなられるためです。
第二朗読 
コリントの信徒への手紙 T 15章20―26、28節

   国を支配する・バシレウオー

 この語は名詞バシレウス〈王〉の派生語であり、「王である、統治する」を意味します。また、「神の国(バシレイアー トゥー セウー)」に用いられる同族の名詞バシレイアー〈支配、王国〉は、この語バシレウオーの派生語です。
 世俗で「支配する」君主がいますが(マタ2:22)、神は大いなる力を振るって「統治します」(黙11:17)。イエス・キリストもヤコブの家を「治め」(ルカ1:33)、神に呼ばれて仕える者となった人たちは神とキリストと共に「統治します」(黙20:4、6)。さらに、比喩的に用いられることもあります。アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にも死は「支配し」(ロマ5:14)、罪が死によって「支配していた」ように、恵みも義によって「支配しつつ」私たちを永遠の命に導きます(ロマ5:21)。
 また、行為の開始を表すアオリスト形では「王となる、王権を得る」の意味になります。高慢になり、勝手に「王様になっている」コリントの人々をパウロは非難します(1コリ4:8)。なぜなら、すべての敵を滅ぼして「国を支配する」王はキリストだからです。
 

 

今週の福音
マタイによる福音書 25章31―46節

 31「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く
  32 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、
  33 羊を右に、山羊を左に置く。
  34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
  35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
  36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
  37 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
  38 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
  39 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
  40 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
 41 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。
  42 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、
  43 旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』
  44 すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
  45 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
  46 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
今週の福音 
マタイによる福音書 25章31―46節

   羊飼い・ポイメーン

 この語は新約聖書に18回使われますが、福音書以外の用例は3回だけです。夜通し野宿をしていた「羊飼いたち」に主の天使が現れ、救い主の誕生を告げると、「羊飼いたち」は幼子のもとに行きました。天使の言葉を知らせると、「羊飼いたち」の話を不思議に思う人もいましたが、「羊飼いたち」は天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰ってゆきました(ルカ2:8・15・18・20)。
 しかし、キリストにも使われます。雇い人は狼がくれば羊を置いて逃げ出すが、イエスは羊のために命を捨てる良い「羊飼い」であり、羊を知り、羊に知られている「羊飼い」であり、囲いに入っていない羊をも導く「羊飼い」です(ヨハ10:11・12・14・16)。神が「羊飼い」を打つと群れが散るように、弟子たちはつまずきますが(マコ14:27)、イエスは永遠の契約の血による「牧者」であり、神が復活させた方であり(ヘブ13:20)、さまよっていた羊も今は魂の「牧者」のもとに戻っています(1ペト2:25)。
 教会には使徒、預言者、福音宣教者のほかに「牧者」もいます(エフェ4:11)。



 

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