B年年間第27主日
二人は一体となりすべて一つの源から出ているので人が離してはならない

第一朗読
創世記 2章18―24節

 18 主なる神は言われた。
 「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
 19 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
20 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。
 21 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
22 そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、
23 人は言った。
     「ついに、これこそ
     わたしの骨の骨
     わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう
     まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
 24 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる
第一朗読 

   深い眠り・タルデーマー

 この語は動詞ラーダム〈眠る〉から派生した女性名詞で、旧約聖書では7回しか使われませんが、常に「深い眠り」と訳されるのは、普通の眠りとは違った眠りだからです。ダビデがサウルの枕もとから槍と水差しを持ち去っても、誰も気づかなかったのは主が全員を「深い眠り」に陥れたからです(サム上26:12)。
 ヨブ記では二度使われますが、いずれも夜の幻が人を包むことと結び付けられています(ヨブ4:13、33:15)。イザヤも、主が人々に「深い眠り」の霊を注ぎ、偽りの預言者にだまされ、危険が迫っていることに気づかずにいるのを嘆いています(イザ29:10)。この語はこのような「深い眠り」を表しますから、箴言が「怠惰は人を<深い眠り>に落とす」と述べるときも、危険の接近にも気づかない無頓着さを戒めています(箴19:15)。
 しかし、創15章のアブラハム契約では、危険というよりは、神からの幻を見るための「深い眠り」を表しています。今週の朗読でも、神の関与を強調する「深い眠り」であり、麻酔がわりの眠りではないと思われます。
 

 

第二朗読
ヘブライ人への手紙 2章9―11節

 9 ただ、「天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、「栄光と栄誉の冠を授けられた」のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。
 10 というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。
11 事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥と(されないのです)。
第二朗読 

   恥とする・エパイスキュノマイ

 新約聖書では11回用いられ、「恥じる、恥ずかしいと思う」を意味します。
 イエスは受難と復活を予告した後で、わたしとわたしの言葉を「恥じる」者は、人の子も終わりの時にその者を「恥じる」と警告します(マコ8:38並行)。イエスを「恥じる」者とは、イエスから離れ去る者のことです。パウロが、福音を「恥としない」(ロマ1:16)と力強く宣言するのは、福音は信じる者すべてに救いをもたらす神の力である、と知っているからです。ですから、パウロが「恥ずかしいと思う」と考えるのは、罪に仕えて死に至ることであり(ロマ6:21)、福音の力を知るなら、パウロが囚人の身であることを「恥と思う」ことはありません(2テモ1:16)。
 今週の朗読は、イエスは人間を兄弟と呼ぶことを「恥としない」と述べます。神もまた、救いを熱望して旅を続ける信仰者たちの神と呼ばれることを「恥としません」(ヘブ11:16)。彼らを都に迎え入れることが神の願いだからです。イエスはその神の願いを実現する唯一の子ですから、罪を償えない弱い人間の兄弟となることを拒みませんでした。
 

 

今週の福音
マルコによる福音書 10章2―12節

 2 ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。
3 イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。
4 彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。
5 イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。
6 しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。
7 それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、
8 二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。
9 従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
10 家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。
11 イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。
12 夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
今週の福音 

   律法に適っている・エクセスティン

 この動詞は不定法と一緒に使われ、「…をおこなって差し支えない・合法的である」を意味します。死んだユダの銀貨を神殿の収入にする「わけにはいかない」と祭司長が考えるのは、それが血の代金だからです(マタ27:6)。兄弟の妻と結婚することは「律法で許されていない」と諌めたヨハネをヘロデは投獄します(マコ6:18)。
 神の意志に合致する行為が何であるかをめぐって、イエスとファリサイ派の人々は鋭く対立します。安息日に床を担ぐことさえ「律法で許されていない」と見るファリサイ派の人々に対して(ヨハ5:10)、安息日に「律法で許されている」ことは善を行うことか、悪を行うことかとイエスは反論します(マコ3:4)。
 しかし、今週の福音が述べるように、離婚に関してはファリサイ派の人々が「律法に適っている」と見るのに対して、イエスは天地創造の初めを引き合いに出して、離婚を否定します。イエスにとって大事なのは、書かれた文字ではなく、神の呼びかけなのです。



 

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