B年年間第31主日
あなたの神、主を愛し神に近づく人たちは神の国から遠くない

第一朗読
申命記6章2―6節

 2 あなたもあなたの子孫も生きている限り、あなたの神、主を畏れ、わたしが命じるすべての掟と戒めを守って長く生きるためである。
3 イスラエルよ、あなたはよく聞いて、忠実に行いなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、父祖の神、主が約束されたとおり、乳と蜜の流れる土地で大いに増える。
 4 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
 6 今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め(なさい)。
第一朗読 

   土地・エレツ

 土地は被造物の一つであり(創1:1)、神は賜物として人にゆだねました。
 したがって、神の民の歴史においても、重要な役割を演じています。アブラハムをハランから呼び出し、イスラエルの民をエジプトから導き出したのは、周辺諸国とは違った生活を彼らに求めていたからです。神が民を「何一つ欠けることのない土地」(申8:7-9)に招き入れたのは、族長や民に与えた約束への誠実さを示すためですから、約束の地での実りは、神が愛であり、誠実な神であることを思い起こすよすがとなります(申26:1-11)。
 しかし、約束の地での定住生活を送り始めたとき、豊かさが試練と誘惑になり(ホセ10:1-2)、そこを汚し、忌まわしいものに変えてしまいました(エレ2:7)。神の愛を噛みしめるための実りが、民の胃袋を満たす手段となり、イスラエルの神がまるで豊穣神であるかのように礼拝され、民の要求が突きつけられる相手になってしまったからです。
 申命記が「乳と蜜の流れる地」と表現するのは、その豊かさを通して神の愛を味わうための場としているからです。土地は神の愛を示すしるしなのです。
 

 

第二朗読
ヘブライ人への手紙 7章23―28節

 23 また、レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、多くの人たちが祭司に任命されました。
24 しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。
25 それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。
 26 このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。
27 この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。
28 律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。
第二朗読 

   献げる・アナフェロー

 この動詞は、接頭辞アナ〈上へ〉とフェロー〈運ぶ〉の合成動詞で、「持ち上げる、運び上げる」を意味します。イエスは御変容に先立ち、三人の弟子を高い山に「運び上げ」(マタ17:1並行)、祝福しながら弟子たちを離れ、天に「上げられ」ました(ルカ24:51)。
 次に、いけにえを「献げる」の意味で用いられます。アブラハムは息子のイサクを祭壇の上に「献げ」(ヤコ2:21)、キリスト者は神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して「献げ」ます(1ペト2:5)。
 さらに、「(重荷を負う義務のない人に)担わせる」、「(自分で)背負う」の意味で用いられます。キリストは多くの人の罪を「負う」ために身を献げました(ヘブ9:28)。
 今週の朗読は、イエスはただ一度、罪のためのいけにえとして自らを「献げ」たと述べます。イエスが人々の罪を背負い、自らを献げたことによって、私たちの罪は完全に清められました。だから、イエスを通して賛美のいけにえを、御名をたたえる唇の実を、絶えず神に「献げ」ることができます(ヘブ13:15)。
 

 

今週の福音
マルコによる福音書 12章28b―34節

 28 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
29 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
30 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
32 律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
33 そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
34 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。
今週の福音 

   律法学者・グラムマテウス

 この語は高級役人の役職名として「書記官」を指したり(使19:35)、キリスト教会での「学者」を表したりしますが(マタ13:52)、多くの用例ではユダヤ教の「律法学者」の意味です。
 律法学者の仕事は、律法を研究し、その解釈を教え、人の振る舞いの是非を判定することでした。ですから、占星術の学者からメシア誕生の知らせを聞いたヘロデ王は律法学者を呼んで、メシア誕生の地がどこだとされているかを尋ねましたし(マタ2:4)、洗わない手で食事するのは昔の人の言い伝えに反する行為と裁定しました(マコ7:1)。
彼らは「ラビ」と呼ばれ、人々の尊敬を集め、ユダヤ教社会では名誉ある地位を占めていました(マコ12:38)。しかし、同じように「ラビ」と呼ばれたイエスは、今週の朗読のように彼らの正しさを認めることもありますが、多くは「律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実をないがしろにしている」者として批判しました(マタ23:23)。これがイエスを十字架にかける動機となりました。



 

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