C年待降節第4主日
出生は古く世に来られた胎内のお子さまも祝福されています

第一朗読
ミカ書5章1―4a節

1 エフラタのベツレヘムよ
   お前はユダの氏族の中でいと小さき者。
   お前の中から、わたしのために
   イスラエルを治める者が出る。
   彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
2 まことに、主は彼らを捨ておかれる
   産婦が子を産むときまで。
   のとき、彼の兄弟の残りの者は
   イスラエルの子らのもとに帰って来る。
3 彼は立って、群れを養う
   主の力、神である主の御名の威厳をもって。
   彼らは安らかに住まう。
   今や、彼は大いなる者となり
   その力が地の果てに及ぶからだ。
4 彼こそ、まさしく平和である。
第一朗読 ミカ書5章1―4a節

 治める者・マーシャル
    
この語はまず(1)人が何かを「支配する」を意味します。カインは罪を「支配しなければならない」し(創4:7)、ペリシテ人がイスラエルを「支配する」こともありましたが(士14:4)、ソロモンはすべての国を「支配する」ことになりました(王上5:1)。
次に(2)天体が「支配する」ことを表します。神は二つの大きな光る物を造り、大きい方に昼を、小さい方に夜を「治めさせました」(創1:18)。
最後に(3)神が何かを「治める」の意味でも使われます。神は地の果てまでも「支配する方」であり(詩59:14)、神は御腕をもって「統治される」ので、捕囚民をエルサレムに連れ帰ることができます(イザ40:10)。
今週の朗読では、神の御名の威厳をもってイスラエルを統治し、諸国もその支配を受け入れるので、「まさしく平和」と呼ばれる理想の王に使われています。この王は「出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」とされる王ですから、神が特別に派遣するメシア王だと言えます。しかし、旧約聖書は十字架に死ぬメシアを知りません。
 

 

第二朗読
ヘブライ人への手紙 10章5―10節

5 それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。
    「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、
    むしろ、わたしのために
  体を備えてくださいました。
6 あなたは、焼き尽くす献げ物や
  罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。
7 そこで、わたしは言いました。
    『御覧ください。わたしは来ました。
    聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、
    神よ、御心を行うために。』」
8 ここで、まず、「あなたはいけにえ、献げ物、焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、好まれもしなかった」と言わ  れ、
9 次いで、「御覧ください。わたしは来ました。御心を行うために」と言われています。第二のものを立てるために、最初のものを廃止されるのです。
10 この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。
第二朗読 ヘブライ人への手紙 10章5―10節

 備える・カタルティゾー
    
 この動詞は新約聖書に13回用いられ、大きく二つの意味に分かれます。
 まず、「整理する、修復する」を意味し、「元の状態に戻す、整頓する、ふさわしい状態にする、完成する」ことを表します。転義して「立ち直らせる」の意味でも用いられます(ガラ6:1、2コリ13:11)。ヤコブとヨハネが網の「手入れをしている」のを見たイエスは、彼らを呼び出し(マタ4:21並行)、パウロはテサロニケの信徒の信仰に必要なものを「補い」たいと祈ります(1テサ3:10)。
 次に、「用意する、作る、創造する」を意味します。この世界は神の言葉によって「創造され」(ヘブ11:3)、幼子や乳飲み子の口に賛美を「用意した」のは神です(マタ21:16)。
 今週の朗読では、人間の罪を完全に取り除きたいと願った神は、イエスのために体を「備えた」と述べられています。それは人間が聖なる者となるためです。御心を表すためにイエスに体を「備えた」神は、聖なる者とされた私たちにもすべての良いものを「備えて」くださいます。それは私たちが御心を行うためです(ヘブ13:21)。
 

 

今週の福音
ルカによる福音書 1章39―45節

39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
40 そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
41 マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、
42 声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています
43 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。
44 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
今週の福音 ルカ1章39―45節

 挨拶する・アスパゾマイ
      
 この動詞は「挨拶する」の意味ですが、転義して「歓迎する、喜んで迎える」の意味でも用いられます(ヘブ11:13)。
 イエスが宣教に派遣した弟子は、途中でだれにも「挨拶し」てはならず(ルカ10:4)、宣教先の家を訪れたら、平和があるようにと「挨拶する」ように命じられます(マタ10:12)。群衆はイエスを見つけると、駆け寄って「挨拶し」ましたが(マコ9:15)、兵士たちは侮蔑しながら、死刑の判決を受けたイエスに「敬礼し」ます(マコ15:18)。そのイエスは、自分の兄弟だけに「挨拶する」のは、自分を愛してくれる人を愛することと同じである説きました(マタ5:47)。
 今週の朗読では、マリアが「挨拶する」と、エリサベトは聖霊に満たされて賛美を唱え、胎内の子は喜びおどります。このような挨拶は単なる儀礼や個人的な好意を表明する挨拶を超えて、神の祝福を運ぶ手立てとなっています。天使ガブリエルの挨拶も、イエスが弟子に命じた平和の挨拶も、復活のイエスの挨拶も神の祝福を運ぶ挨拶です。


 


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