| 第一朗読
          
        知恵の書 18章6―9節 
         
        6	あの夜のことは、我々の先祖たちに   
          前もって知らされており、 
            彼らはあなたの約束を知って  
          それを信じていたので、 
          動揺することなく安心していられた。 
        7	神に従う人々の救いと、敵どもの滅びを、   
           あなたの民は待っていた。  
        8	あなたは、反対者への罰に用いたその出来事で、   
           わたしたちを招き、光栄を与えてくださった。  
        9	善き民の清い子らは、ひそかにいけにえを献げ、   
           神聖な掟を守ることを全員一致で取り決めた。  
           それは、聖なる民が、順境も逆境も  
          心を合わせて受け止めるということである。 
           そのとき彼らは先祖たちの賛歌をうたっていた。      
      
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第一朗読 
動揺することなく・アスファロース 
 
 この語は、否定の接頭辞アと動詞スファッロー〈足をさらう〉とによる合成動詞から派生した副詞で、「ぐらつかせず、しっかりと」とか「不動で、確実な」を意味します。 
 七十人訳では、まず大きな魚を「しっかり」捕まえたトビアに使われています(トビ6:4)。さらに、1マカ6:40では、「整然と」進軍するアンティオコスの軍隊に使われています。 
 このように、この語は「あぶなっかしさのない、安定した様子」を表します。散らされていた国々からエルサレムへと帰還するイスラエルを描くバルク書5章では、神がすべての高い山を低くし、谷を埋めて平地とするので、彼らは神の栄光に包まれて「安全に」歩むことができます(バル5:7)。 
 今週の朗読でも、この語は神がもたらす平安を表しています。エジプトから脱出しようとする夜のことですから、不安や動揺があって当然ですが、神から前もってそれを聞き、その約束を信じたので、人々は「動揺することなく」安心して救いを待ち、それを手にすることができました。 
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第二朗読
         ヘブライ人への手紙 11章1―2・8―12節 
         
        1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 
        2 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。  
        8 
        信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。 
        9 信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。  
        10 アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。11 信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。  
        12 それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。    
         
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第二朗読
 
 
服従する・ヒュパクーオー 
 
 この動詞は「聞く、傾聴する」を意味しますが、次のような意味合いで用いられます。 
 まず、「従う、服従する、従うべきである」を意味します。この場合、自ら従う場合もありますが、強制的に従わせられることも表します。イエスが命じると汚れた霊はその「言うことを聴き」(マコ1:27)、風や湖さえも「従います」(マタ8:27並行)。また、信仰に入ることもこの語で表します。神の言葉はますます広まり、祭司も大勢この信仰に「入りました」(使6:7)。 
 次に、新約聖書には用例がありませんが、「願いを聞き入れる」の意味も表し、さらに、門の中へ入ろうとする人々の合図に耳を澄まし、ふさわしい人を中へ入れる門番の務めを表す術語として、「門を開ける、取り次ぎに応じる」の意味で用いられます(使12:13)。 
 今週の朗読の8節では、アブラハムは神の召し出しに「服従し」、行き先も知らずに出発したと述べられています。神にすべてを任せたアブラハムの信仰は、キリスト者の信仰が意味あるものであることを証ししています。 
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今週の福音
 ルカによる福音書 12章35―40節 
 
35 「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。  
36 主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。 
37 主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。 
38 主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。39 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。  
40 あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」       
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今週の福音
 
 
開ける・アノイゴー 
 
 この動詞は自動詞として「開く(あく)」を意味することもありますが(ヨハ1:51)、多くは他動詞として「(閉じられている事物を)開ける」を指します。宝の箱を「開けて」贈り物をささげ(マタ2:11)、魚の口を「開ける」と、銀貨が見つかります(マタ17:27)。 
 このような一般的な用例のほかに、神の関与を表す用例も多く見られます。イエスの受洗の際に天が「開かれ」、霊がイエスに降り(マタ3:16)、ザカリアの口が「開かれ」、神を賛美し(ルカ1:64)、門をたたく者には「開かれます」(マタ7:7)。このような受動形は神が行為の主体者であることを婉曲に表現する表現方法です。 
イエスは見えない目や聞こえない耳を「開いて」いやしを行い(マコ7:35)、旧約での神の業を引き継いでいます(イザ35:5、ルカ4:18参照)。 
今週の福音では、イエスの十字架・復活と再臨との狭間を生きるキリスト者は、希望に満ちた緊張の中を歩んでいることを表す表現として使われています。
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