C年年間第28主日
主は生きておられるキリストのことを思い起こしひれ伏して感謝する

第一朗読


列王記下 5章14―17節

 14 ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった
 15 彼は随員全員を連れて神の人のところに引き返し、その前に来て立った。「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。今この僕からの贈り物をお受け取りください。」16 神の人は、「わたしの仕えている主は生きておられる。わたしは受け取らない」と辞退した。ナアマンは彼に強いて受け取らせようとしたが、彼は断った。17 ナアマンは言った。「それなら、らば二頭に負わせることができるほどの土をこの僕にください。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。」

第一朗読

清くなる・ターヘール

 この語は、ヨブ37:21「雲を<払う>」とマラ3:3「銀を<清める>」を除いた他の用例では、儀式による清さや道徳的な清さを表すために使われており、レビ記での用例がほぼ半数になります(全用例94回のうち43回)。なお、七十人訳は訳語としてカサリゾーを用いています(今週の福音の14・17節に使われています)。
 儀式による清めはいけにえをささげたり、清い水で洗ったり、火の中を通すことによって実施されます。子供を産んだ母親は、原則として雄羊と家鳩(あるいは山鳩)とをささげます(レビ12:7―8)。重い皮膚病であった人が治癒したときは、生きている清い鳥をささげます(レビ14章)。死体や墓によって汚れたときは、清めの水によって体や衣服などを清めます(民19章)。
 道徳的な清さをもたらすのも、清い水やいけにえです。神が民に清い水をふりかけて清める時が来ます(エゼ36:25)。贖罪日にささげるいけにえによって民は清められます(レビ16章)。
 イスラエルが清さを保つために苦心したのは、絶対的に清い方である神に出会っているからです。

 

 

第二朗読

テモテへの手紙二 2章8―13節

 8 イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。9 この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。10 だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。11 次の言葉は真実です。
   「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、
  キリストと共に生きるようになる。
12 耐え忍ぶなら、
  キリストと共に支配するようになる。
キリストを否むなら、
  キリストもわたしたちを否まれる。
13 わたしたちが誠実でなくても、
  キリストは常に真実であられる。
キリストは御自身を
  否むことができないからである。」

第二朗読


思い起こす・ムネーモネウオー

 この語は「思い出す、覚えている、心に思う」を意味し、さらに「(思い出して)口にする、言及する」を意味します。新約聖書には用例がありませんが、「記憶し続ける」の意味も表します。
 イエスは五つのパンで五千人を養ったことを「覚えていないのか」と弟子に問い(マタ16:9)、十字架を前にして、残される弟子を思い、自分の言葉を「思い出しなさい」と指示します(ヨハ15:20)。パウロは祈りの中でテサロニケの人々の信仰を「心に留め」(1テサ1:3)、貧しい人たちのことを「忘れない」ようにと心がけます(ガラ2:10)。パウロは自分が涙を流して教えてきたことを「思い起こして」、目を覚ましていなさいと指示しましたが(使20:31)、神の言葉を語った指導者たちのことを「思い出し」、その信仰を見倣うことは必要です(ヘブ13:7)。ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について「語りました」(ヘブ11:22)。
 今週の朗読は、イエス・キリストのことを「思い起こしなさい」と命じます。思い起こすのは、イエスの生涯から生きる力と励ましを受けるためです。

 

 

今週の福音

ルカによる福音書 17章11―19節

 11 イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。12 ある村に入ると、らい病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、13 声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。14 イエスはらい病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。15 その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。16 そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。17 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。18 この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」19 それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

今週の福音


いやす・イーアオマイ

 この語はまず、文字どおりに病を「いやす、治す」を意味します。百人隊長はイエスの言葉があれば僕は「いやされる」と信じ(マタ8:8並行)、イエスの服に触れた女は病気が「いやされた」ことを感じました(マコ5:29並行)。イエスの教えを聞くため、また病気を「いやしていただくために」人々は集まり(ルカ6:18)、十二人は神の国を宣べ伝え、病気を「いやす」ために遣わされます(ルカ9:2)。
 次に、転義して、病以外のあらゆる害悪、特に新約では、罪から解放することを表します。神は心が鈍く、悔い改めない民を「いやさない」と述べましたが(マタ13:15、ヨハ12:40、使28:27)、イエスを十字架に上げました。イエスが受けた傷によって、人々が「いやされる」ためです(1ペト2:24)。
 この動詞はルカに最も多く用いられており、ルカでは神の国の宣教と病のいやしが結びつけられています。今週の朗読に登場するサマリア人は、イエスに神の力を見て、神の国に触れた一人です。


 

 

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