A年年間第10主日
(神を知り、なおも望みを抱いて、「わたしに従いなさい」)
第一朗読 ホセア書 6章3―6節 3「我々は主を知ろう。 主を知ることを追い求めよう。 主は曙の光のように必ず現れ 降り注ぐ雨のように 大地を潤す春雨のように 我々を訪れてくださる。」 4 エフライムよ わたしはお前をどうしたらよいのか。 ユダよ、お前をどうしたらよいのか。 お前たちの愛は朝の霧 すぐに消えうせる露のようだ。 5 それゆえ、わたしは彼らを 預言者たちによって切り倒し わたしの口の言葉をもって滅ぼす。 わたしの行う裁きは光のように現れる。 6 わたしが喜ぶのは 愛であっていけにえではなく 神を知ることであって 焼き尽くす献げ物ではない。 |
第一朗読
雨と春雨・ゲシェムとマルコーシュ |
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第二朗読 ローマの信徒への手紙 4章18―25節 18 彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。 19 そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。 20 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。 21 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。 22 だからまた、それが彼の義と認められたわけです。 23 しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、 24 わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。 25 イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。 |
第二朗読 約束・エパンゲリアー この語はもとは「告知」を意味し、後に特別な意味で、「約束、誓約、申し出」を意味するようになりました。新約聖書では人間が行う「約束」の意味での用例は一例だけで、「承諾」と訳されています(使23:21)。そのほかは神が行う「約束」、神によって「約束されたもの」を意味します。 神はアブラハムとその子孫に世界を受け継がせるという「約束」を与え(ロマ4:13)、ダビデの子孫が継ぐ王国はとこしえに続くという「約束」に従って、救い主イエスを送りました(使13:23)。こうして、神の「約束」はイエスによって実現しましたが、神は一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと忍耐して、主の再臨という「約束」の実現を遅らせています(2ペト3:9)。 御父は使徒を宣教に遣わす前に、「約束されたもの(聖霊)」を与え(ルカ24:49)、御子イエスが約束した「約束」とは永遠の命であることを教会は宣べ伝えます(1ヨハ2:25)。 アブラハムのように、神の「約束」に信頼して生きて、永遠の命にあずかるようにと聖書は教えます。 |
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今週の福音 マタイによる福音書 9章9―13節 |
今週の福音 学ぶ・マンサノー この語は「(教えを受けて)学ぶ」を意味します。キリスト者が聞いて学ぶことを求められるのは、その生活が生来的な資質に基づくというよりは、キリストをとおして示された神の心と深く関わっているためです。キリスト者は、すべてにおいて模範であるキリストから、使徒から、自然から学ぶことができます。 キリストは御子でありながら、多くの苦しみによって従順を「学び」(ヘブ5:8)、重荷を負う者に彼に「学ぶ」なら、安らぎが得られると呼びかけます(マタ11:29)。パウロは、彼から「学んだ」ことを実行するなら、平和の神が共にいると教え(フィリ4:9)、また、ローマの人々には、彼らが「学んだ」教えに反する人々から遠ざかるようにと忠告します(ロマ16:17)。季節を知らせるいちじくの木から教えを「学ぶ」ことができた者は、人の子が戸口に近づき、終わりの日が近いことを悟ります(マタ24:32並行)。 今週の福音では、ホセアの言葉を「学ぶ」なら、イエスが罪人と食事を共にする秘密を知ることができると教えます。イエスは神の心を現す人だからです。 |