A年年間第18主日
(わたしに聞き従えば、輝かしい勝利を収め、食べて満腹する)
第一朗読 イザヤ書 55章1―3節 1 渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。 銀を持たない者も来るがよい。 穀物を求めて、食べよ。 来て、銀を払うことなく穀物を求め 価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。 2 なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い 飢えを満たさぬもののために労するのか。 わたしに聞き従えば 良いものを食べることができる。 あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。 3 耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。 聞き従って、魂に命を得よ。 わたしはあなたたちととこしえの契約を結ぶ。 ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。 |
第一朗読 イザヤ書 55章1―3節 おーい・ホーイ この語はだいたいは「不満足や心の痛みを表す」間投詞として使われます。旧約聖書全体では約50回使われますが、王上13:30「<なんと不幸なことよ>、わが兄弟」を除く、他の用例は預言書に限られています。 預言者に心の痛みを引き起こすのは民の罪深さです。ですから、イザヤは「<災いだ>、罪を犯す国、咎の重い民」と嘆きます(1:4)。しかも、罪深さは裁きをもたらすので、裁きの告知を導入する間投詞として使われます。イザヤは「<災いだ>、家に家を連ね、畑に畑を加える者は」と述べて、富を独り占めにしようとする金持ちに対して裁きが来る日の到来を予告します(5:8―24)。アモスも「<災いだ>、シオンに安住し、サマリアの山で安逸をむさぼる者らは」と述べ(6:1)、貧しい者を踏みにじる貴族階級を批判しています。エレミヤも「災いだ、恵みの業を行わず自分の宮殿を建て」と述べて、ヨヤキム王への裁きを告知します(2:13―19)。 しかし、イザ18:1「災いだ、遠くクシュの川のかなたで、羽の音を立てている国は」では「不満足や心の痛み」といった意味は薄くなり、ただ注意を引き起こす叫びとして使われています。さらに今週の朗読では、「同情」といった意味合いも含まれています。 |
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第二朗読 ローマの信徒への手紙 8章35、37―39節 35 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。 37 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。 38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。 |
第二朗読 ローマの信徒への手紙 8章35、37―39節 引き離す・コーリゾー まず、能動態で「裂く、引き離す」を意味します。離縁について尋ねるファリサイ派の人々に、神が結び合わせたものを人は「離してはならない」とイエスは教えました(マタ19:6並行)。 次に、受動態で用いられ、離婚を表して「離れる、別れる」を意味します。パウロは主の命令として、夫と「別れてはいけない」と妻に命じ、既に「別れてしまった」妻は再婚せずにいるか、夫のもとに帰るように指示します(1コリ7:10―11)。また、「取り去られる、出発する、立ち去る」の意味でも用いられます。イエスは弟子たちにエルサレムを「離れ」ず、父の約束されたものを待つようにと命じ(使1:4)、クラウディウス帝は全ユダヤ人をローマから「退去させるように」と命令しました(使18:2)。罪人から「離され」、もろもろの天よりも高くされているキリストは(ヘブ7:26)、罪人とは異なる方です。 パウロは、何ものもキリストと神の愛からキリスト者を「引き離す」ことはできない、と断言します。なぜなら、キリスト者とは、神が呼び出して、御子によって愛した者たちだからです。 |
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今週の福音 マタイによる福音書 14章13―21節 13 イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。 14 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。 15 夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」 16 イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 17 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 18 イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、 19 群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 20 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。 21 食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。 |
今週の福音 マタイによる福音書 14章13―21節 持って来る・フェロー この語はまず@「運ぶ・荷を担う」を意味します。キレネ人シモンは十字架を「運び」(ルカ23:26)、御子は万物を「支える」方であり(ヘブ1:3)、婦人は香料を「持って」イエスの墓に向かいます(ルカ24:1)。キリスト者はイエスの受けた辱めを「担い」(ヘブ13:13)、神は滅びるべき者を寛大な心で「耐え忍ばれました」(ロマ9:22)。 次にA「(植物が実を)結ぶ」ことを表します。一粒の麦は死ぬと多くの実を「結び」(ヨハ一二24)、良い土地に落ちた種は何十倍もの実を「結びます」(マコ4:8)。ぶどうの枝は木につながっていなければ、自分から実を「結ぶ」ことはできません(ヨハ15:4)。 次にB「ある場所から追い立てる」を表します。聖霊に「導かれて」預言を語り(2ペト1:21b)、成熟を目指して「進み」ます(ヘブ6:1)。 最後にC「持って来る」の意味にもなります。それはヨハネの首(マコ6:27)、銀貨(マコ12:15)、土地を売った代金などです(使4:34)。 |