A年年間第33主日
貧しい人には手を開き眠っていないで、目を覚まし更に与えられて豊かになる

第一朗読
箴言 31章10―13、19―20、30―31節

10 有能な妻を見いだすのは誰か。
    真珠よりはるかに貴い妻を。
11 夫は心から彼女を信頼している。
    儲けに不足することはない。
12 彼女は生涯の日々
    夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。
13 羊毛と亜麻を求め
    手ずから望みどおりのものに仕立てる。
19 手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。
20 貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。
30 あでやかさは欺き、美しさは空しい。
    主を畏れる女こそ、たたえられる。
31 彼女にその手の実りを報いよ。
    その業を町の城門でたたえよ。
第一朗読 
箴言 31章10―13、19―20、30―31節

   有能な・ハイル

 この語はまず@「(体の)力」を意味します。神の「御力」のこともありますが(詩59:12)、多くは名詞ギッボール〈強い男〉や名詞イーシュ〈男〉と一緒に使われます。ダビデは「勇敢な」戦士であり(サム上16:18)、神が力を発揮するとき「戦」士も力を振るいえなくなります(詩76:6)。
 次にA「(道徳的な意味合いも含んで)能力・才能・手腕」を意味します。「有能な」妻は夫の冠であり(箴12:4)、ルツは「立派な」婦人であり(ルツ3:11)、神を畏れる「有能な」人を指導者に立てます(出18:21)。今週の朗読でもこの意味で使われています。
 次にB「」をも表します。イスラエルの民はミディアンの家畜や財産、「富」を奪い取りましたが(民31:9)、富の力を誇り、「財宝」を頼みとする人を恐れる必要はありません(詩49:7)。
 最後にCしばしば「兵力・軍隊」の意味で使われます。「兵」は鬨の声をあげ(サム上17:20)、軍馬や戦車をもった「軍隊」が出陣しますが(王下6:15)、神はファラオとその全「軍」を破って栄光を現します(出14:4)。
 

 

第二朗読
テサロニケの信徒への手紙 T 5章1―6節

 1 兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。
  2 盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。
  3 人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。
  4 しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。
  5 あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。
  6 従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。
第二朗読 
テサロニケの信徒への手紙 T 5章1―6節

   襲う・カタラムバノー

 この語は、接頭辞カタ〈下に〉と動詞ラムバノー〈取る〉からなる合成動詞で、能動態と受動態では「獲得する、所有する」を意味します。敵意をもって「つかむ、襲う」、また「取り押さえる」の意味でも用いられます(ヨハ8:3―4)。
 キリスト・イエスに「捕らえられた」パウロはまだ「捕らえた」わけではなく、目標を目指して走っており(フィリ3:12―13)、賞を「得る」ように走りなさいと勧めます(1コリ9:24)。義を求めなかった異邦人も信仰によって義を「得る」ことができたからです(ロマ9:30)。イエスは、子供に「取りつく」汚れた霊を追い出し(マコ9:18)、暗闇が「追いつく」ことのないように歩きなさいと指示します(ヨハ12:35)。
 さらに、中動態で「理解する」を意味します。議員たちはペトロたちが無学な普通の人だと「知って」驚き(使4:13)、ペトロは神が人を分け隔てしないと「分かりました」(使10:34)。
 主の日はキリスト者を盗人のように「襲う」ことはありません。キリストが現れるのは、彼らが自分のものであることを明らかにするためだからです。
 

 

今週の福音
マタイによる福音書 25章14―30節

 14「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
  15 それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、
  16 五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた
  17 同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた
  18 しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
  19 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。
  20 まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』
  21 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
  22 次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』
  23 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
  24 ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、
  25 恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』
  26 主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。
  27 それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。
今週の福音 
マタイによる福音書 25章14―30節

   もうける・ケルダイノー

 この語は、まず@文字どおりに使われ「儲ける・得をする」を意味します。イエスの弟子にふさわしい生き方とは、自分自身を捨てイエスに従うことであり、全世界を「手に入れる」ことではありません(マコ8:36)。ヤコブは商売をして「金もうけをしよう」と考える人々に対して、自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのだから、主の御心を大事にするようにと説きます(ヤコ4:13以下)。今週の福音でも@の意味で使われています。
 次にA転義した用法では「(人を信仰へと導き、信じるものを)獲得する」の意味になります。自分に罪を犯した兄弟に二人だけのところで忠告し、聞き入れてくれるなら、兄弟を「得たことになる」、とイエスは教えます(マタ18:15)。キリストを「得る」ために、すべてを失ったパウロはそれらを塵あくたと見なし(フィリ3:8)、できるだけ多くの人を「得る」ために、すべての人に対してすべてのものになりました(1コリ9:19)。妻は夫に従順になることによって、御言葉を信じない夫を「信仰に導く」ことになります(1ペト3:1)。
 主人は「忠実な良い僕」たちを、「主人と一緒に喜んでくれ」と宴に招きます。わたしたちにも「世にある教会」という大きな財産が任されています。これを見て恐れずに働くことができるのは、わたしたちを信頼してくださった神のその信頼にすがる時だけです。



 

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