B年年間第8主日
主を知るようにと霊に仕える資格を与え新しい革袋に入れる

第一朗読
ホセア書2章16b・17b・21―22節

16それゆえ、わたしは彼女をいざなって
     荒れ野に導き、その心に語りかけよう。
17bそこで、彼女はわたしにこたえる。
     おとめであったとき
     エジプトの地から上ってきた日のように。
21わたしは、あなたととこしえの契りを結ぶ
     わたしは、あなたと契りを結び
     正義と公平を与え、慈しみ憐れむ。
22わたしはあなたとまことの契りを結ぶ
     あなたは主を知るようになる。
第一朗読 

  契りを結ぶ・アーラス

 ホセアは、1:2-9や3:1-4がほのめかすように、妻の裏切りに苦しんだ人ですが、その苦悩の中で同じように裏切られて苦しむ神に出会った人です。それだからでしょうか、神の民への思いを夫婦関係になぞらえて語った最初の預言者となります。
 この語アーラス〈契りを結ぶ〉は「契約を結ぶ」の同義表現であることは、今週の朗読からは割愛された20節に「契約を結ぶ」を用いていることからも明らかです。しかし、ホセアが「契約」という言葉を良い意味で使うのは、この20節だけであり、その他の用例はすべて「契約を破った」とか「神以外のものと契約を結んだ」というように否定的な意味で用いています。
 この語アーラス〈契りを結ぶ〉は、「金品をもってある女性と婚約する」という構文になると、「結納の品や金を差し出して婚約を結ぶ」の意味になります。今週の朗読ではこの構文が用いられています(本文解説を参照)。
 ホセアが「契約を結ぶ」を避け、アーラス〈契りを結ぶ〉を用いたのは、神と民の関係を夫婦関係にたとえたかったからであり、神が差し出す結納の品を強調したかったからかも知れません。
 

 

第二朗読
コリントの信徒への手紙二 3章1b―6節

1bあなたがたへの推薦状、あるいはあなたがたからの推薦状が、わたしたちに必要なのでしょうか。
2わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。
3あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。
 4わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。
5もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。
6神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。
第二朗読 

  資格がある・ヒカノス

 この語は、まず「十分な・適当な・相当な」を意味し、数や量の多さ、時間の長さ、程度の強さなどを表すのに用いられます。イエスが行く先々には常に「大勢の」群衆がおり(マコ10:46、ルカ7:12)、「長い」間、男に取りついていた悪霊をイエスは追い出しました(ルカ8:27)。パウロは「強い」光に照らされたのち回心し(使22:6)、エルサレムへと船出するパウロから別れを告げられた人々は「激しく」泣きました(使20:37)。
 さらに、「ふさわしい・有能な・資質のある・能力のある」という意味でも用いられます。洗礼者ヨハネは、自分の後から来るイエスの履き物を脱がせる「値打ちも」ないと言い(マタ3:11並行)、パウロも自分は神の教会を迫害したのだから使徒と呼ばれる「値打ちの」ない者だと言いました(1コリ15:9)。しかし、そのパウロが神によって使徒の「資格がある」と認められました(2コリ3:5)。新しい契約にふさわしい人とは、自分の思いではなく、ふさわしいと認める神の思いを、天からの光として受け入れる人のことです。

 

 

今週の福音
マルコによる福音書 2章18―22節

 18ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」
19イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。
20しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。
 21だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。
22また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」
今週の福音 

  花婿・ニュムフィオス

 黙示録18章が、終わりの日におけるバビロンの滅亡を、「<花婿>や花嫁の声も、もはや決してお前のうちには聞かれない」と述べるように、結婚はいろいろな喜びの中でも最も大きな喜びのひとつです。ですから、カナの婚宴に招かれたイエスは「花婿」や世話人が知らないところで水をぶどう酒に変え、祝宴がしらけてしまわないように配慮します。
 今週の福音では、イエスの弟子たちが断食を実行しないことをいぶかしく思った人々の疑問に答えて、イエスは「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか」(19a節)と問い返し、弟子たちを弁護します。
 解説本文に書いたように、多くの学者によれば、19a節はイエスの言葉だが、19b―20節は原始教会が加えた言葉だと見ます。パウロもキリストを「花婿」に、信徒を「花嫁」に、パウロを「花婿の介添人」にたとえていますが(2コリ11:2)、このような見方はイエスをメシアとする信仰を土台にしています。
 イエスがご自身を「花婿」と見ていたかどうかは別にして、この箇所の強調点が、断食をも忘れさせる喜びの時の到来にあるのは明らかです。



 

今週の朗読のキーワードに戻る