B年年間第22主日
主の戒めを守り御言葉を受け入れ聞いて悟りなさい

第一朗読
申命記4章1―2、6―8節

 1 イスラエルよ。今、わたしが教える掟とを忠実に行いなさい。そうすればあなたたちは命を得、あなたたちの先祖の神、主が与えられる土地に入って、それを得ることができるであろう。
2 あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。
 6 あなたたちはそれを忠実に守りなさい。そうすれば、諸国の民にあなたたちの知恵と良識が示され、彼らがこれらすべての掟を聞くとき、「この大いなる国民は確かに知恵があり、賢明な民である」と言うであろう。
7 いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか。
8 またわたしが今日あなたたちに授けるこのすべての律法のように、正しい掟と法を持つ大いなる国民がどこにいるだろうか。
第一朗読 

   法・ミシュパート

 この語は動詞シャーファト〈裁く〉から派生した名詞です。大きく三つの意味で使われます。まず、係争案件に関する「裁き・裁判・判決」を意味します。争いが生じたとき、「法廷」に出頭し(申25:1)、互いに「訴える論拠」を提出し(イザ50:8)、裁判人が示した「判決」に従わねばなりません(申17:11)。
 次に、裁き手が持っているべき資質との関連から、広く「正義・正しさ・廉直さ」を意味します。全世界を裁くお方は「正義」を行い(創18:25)、そのような主に従う人の舌は「正義」を語ります(詩37:30)。
 さらに裁き手によって公布される「決まり・法令」を指します。主はモーセに掟と「法」を与え(出15:25)、主の僕はこの地に「裁き」を置き(イザ42:4)、人はいけにえを「規定」に従ってささげます(レビ9:16)。ここでの「法」や「裁き」や「規定」は「すべてを支配する正しい生命秩序」を表します。
 今週の朗読では、最後の意味で使われています。神はモーセを通して「正しい生命秩序」を現しましたから、それに聞くことが不可欠なことなのです。
 

 

第二朗読
ヤコブの手紙 1章17―18・21b―22・27節

 17 良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。
  18 御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。
 21b 心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
 22 御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。
 27 みなしごや、やもめが困っているときに世話をし、世の汚れに染まらないように自分を守ること、これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です。
第二朗読 

   初穂・アパルケー

 この語は、七十人訳聖書(ギリシア語訳旧約聖書)では、犠牲用語として用いられ、神にささげるべき収穫の「初物」を表します(出23:19、民15:20―21、18:12、申18:4)。新約聖書では9回用いられますが、そのうち7回はパウロの手紙に現れます。
 「麦の初穂」が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであると述べるとき(ロマ11:16)、パウロは民15:17―21を念頭に置いており、旧約の犠牲概念に基づいています。
 また、ステファナの一家はアカイア州の最初のキリスト者として「初穂」と呼ばれ(1コリ16:15)、キリストは眠りについた人たちの「初穂」と呼ばれます(1コリ15:20)。キリストは死者の中から最初に復活し、それによって私たちの復活も確かにされているからです。
 今週の朗読では、キリスト者はいわば造られたものの「初穂」であると述べられています。これは、神の似姿として人間が造られた古い創造ではなく、真理の言葉によって罪を贖われた新しい創造を表しています。新しい創造は御言葉を受け入れるキリスト者から始まります。
 

 

今週の福音
マルコによる福音書 7章1―8・14―15・21―23節

 1 ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。
2 そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。
3 ---ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、
4 また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。---
5 そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」
6 イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。
   『この民は口先ではわたしを敬うが、
   その心はわたしから遠く離れている。
7 人間の戒めを教えとしておしえ、
   むなしくわたしをあがめている。』
8 あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」
 14 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい
15 外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」
 21 中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、
22 姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、
23 これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」
今週の福音 

   言い伝え・パラドシス

 この語は動詞パラディドーミ〈引き渡す・ゆだねる・伝える〉から派生した名詞で、「言い伝える行為そのもの」、あるいは「言い伝えられた教え」を意味しますが、聖書ではもっぱら後者の意味で合計13回使われています。福音書では、今週の福音であるマルコ7章と、その並行箇所マタイ15章でのみ、合計8回使われ、書簡では5回使われています。
 パウロは回心以前、ファリサイ派の一員として「先祖の<言い伝え>」を熱心に守っていました(ガラ1:14)。しかし、神が御子を示してくださったとき、その教えを宣べ伝える者に変えられました。ですから、パウロが行った説教や、彼が書いた手紙を通して「伝えた教え」は固く守るべき教えであり(2テサ2:15)、それに従わない兄弟は避けるべきです(2テサ3:6)。コリントの人々がパウロを思い出し、彼によって「伝えられた教え」を守るとき、彼らは立派な人たちと賞賛されます(1コリ11:2)。



 

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