B年年間第28主日
知恵の輝きは消えることがなく神の言葉は生きており神は何でもできる

第一朗読
知恵の書 7章7―11節

7 わたしは祈った。すると悟りが与えられ、
   願うと、知恵の霊が訪れた。
8 わたしは知恵を王笏や王座よりも尊び、
   知恵に比べれば、富も無に等しいと思った。
9 どんな宝石も知恵にまさるとは思わなかった。
   知恵の前では金も砂粒にすぎず、
   知恵と比べれば銀も泥に等しい。
10 わたしは健康や容姿の美しさ以上に知恵を愛し、
     光よりも知恵を選んだ。
     知恵の輝きは消えることがないからだ。
11 知恵と共にすべての善が、わたしを訪れた。
     知恵の手の中には量り難い富がある。
第一朗読 

   健康・ヒュギエイア

 この語が「健康」を表すことは、シラ30:16「体の<健康>にまさる富はなく、心の喜びにまさる楽しみもない」からも明らかです。しかし、シラ31:20「程よく食べれば、安眠が得られ」で「安眠」と訳された句が「ヒュギエイアの眠り」であることを考えると、「健康」よりも広い意味を持っているかも知れません。
 そこで他の用例を調べると、トビ8:21「わたしの全財産の半分を取り、<無事に>あなたの父のもとに帰りなさい」では、「無事に」と訳されているのが分かります。このような用例に示されているように、「健康」といっても「全体的に調和のとれた、秩序づけられた健やかさ」を意味しており、病気やけがに苦しんでいないというだけでなく、いっそう積極的で全体的な健康を表しています。
 今週の朗読では「容姿の美しさ」と一緒に「知恵」と比較され、ソロモンが選んだのは後者であったとされています。「体の全体的な健やかさ」にせよ、「容姿の美しさ」にせよ、神とのかかわりを見えなくする危険がありますが、ここでの「知恵」は神から来る知恵であり、だからこそソロモンはこれを選びました。
 

 

第二朗読
ヘブライ人への手紙 4章12―13節

 12 というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。
13 更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。
第二朗読 

   裸の・ギュムノス

 この形容詞は、文字どおりには「裸の、むき出しの」を意味します。イエスについて来た一人の若者は、人々が捕らえようとすると、「裸で」逃げました(マコ14:52)。信仰がなまぬるいラオディキアの教会は「裸の者」であり(黙3:17)、「裸で」歩くのは恥であり(黙16:15)、霊的に貧しいことが批判されます。
 次に、「貧しい身なり」の意味で用いられます。旅人に宿を貸し、「裸の」人に着せた人々は終わりの時に永遠の命にあずかり、見過ごしにした人々は永遠の罰を受けます((マタ25:36、38、43、44)。「着る物もなく」、その日の食べ物にも事欠く兄弟姉妹を助けないなら、信仰は死んでいるからです(ヤコ2:15)。
 さらに、「覆われていない、あらわな」の意味で用いられます。今週の朗読にあるように、神の目にはすべてのものが「裸で」す。神は被造物すべてを見通しているからです。神は、外見を装っても信仰が裸である者を見抜くことができます。貧しい身なりの人に着せかける信仰を生きることができるのは、すべてを見通す神からの救いにあずかるという約束を受けているからです。
 

 

今週の福音
マルコによる福音書 10章17―27節

 17 イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」
18 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。
19 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」
20 すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。
21 イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
22 その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
 23 イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」
24 弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。
25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
26 弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。
27 イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
今週の福音 

   受け継ぐ・クレーロノメオー

 この語は基本的には「遺産を相続する」を意味しますが、新約聖書ではこのような意味合いは薄らぎ、神の子とされた者が何か良いものを神から「受け継ぐ」ことを表します。まず、御子も天使たちの名よりも優れた名を「受け継ぎ」、今は神の右の座についています(ヘブ1:4)。御子だけではありません。人もまた救い(ヘブ1:14)や約束されたもの(ヘブ6:12)や祝福(ヘブ12:17)を「受け継ぐ」ことになっています。
 しかし、みだらな者や偶像を礼拝する者は神の国を「受け継ぐことはできません」(1コリ6:9・10)。信じる者が「受け継ぐ」神の国とは、朽ちることのない永遠の命のことです(1コリ15:50)。ですから、マタ五5の柔和な人が「受け継ぐ」地も、具体的な土地ではなく、永遠の命の象徴となっています。
イエスは永遠の命への道を尋ね求める者に答えて、家族や持ち物を捨て(マタ19:29)、貧しい者に施し(マコ10:17、ルカ18:18)、憐れみを行動によって表現する(マタ25:34)ことを教えます。



 

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