B年年間第30主日
(大いなる会衆となって、メルキゼデクと同じような祭司と、なお道を進む)
第一朗読 エレミヤ書 31章7―9節 7 主はこう言われる。 ヤコブのために喜び歌い、喜び祝え。 諸国民の頭のために叫びをあげよ。 声を響かせ、賛美せよ。そして言え。 「主よ、あなたの民をお救いください イスラエルの残りの者を。」 8 見よ、わたしは彼らを北の国から連れ戻し 地の果てから呼び集める。 その中には目の見えない人も、歩けない人も 身ごもっている女も、臨月の女も共にいる。 彼らは大いなる会衆となって帰って来る。 9 彼らは泣きながら帰って来る。 わたしは彼らを慰めながら導き 流れに沿って行かせる。 彼らはまっすぐな道を行き、つまずくことはない。 わたしはイスラエルの父となり エフライムはわたしの長子となる。 |
第一朗読 会衆・カーハール この語は動詞カーハル〈集う〉と同根の名詞で、@「(召集を受けて集められた)集会・会衆・群れ」やA「(組織化された)共同体」を意味します。しかし、人はいろいろな目的のために集いをもちます。 悪事を諮るために「集い」をもつこともあるし(詩26:5)、重税の軽減を求める「会衆」はヤロブアムと共にレハブアム王のもとに行きました(王上12:3)。また、敵国の攻撃に対処するため、あるいは敵国への侵入のために「集まり」をもつこともあるし(民22:4)、捕囚民は帰還するために「群れ」をつくりました(エレ31:8)。 しかし、最も多い用例は宗教的な目的での「集い」です。神による救いを体験した者はそれを賛美するために「集会」に集いました(詩22:23)。ホレブでの「集会」で火の中から主が告げた言葉が石の板に記されました(申9:10)。また、祭りのため、断食のため、礼拝のために定期的な「集い」をもちました(代下20:5)。なお、七十人訳はカーハールの訳語としてエックレーシアー〈教会〉を用いています。 |
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第二朗読 ヘブライ人への手紙 5章1―6節 1 大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。 2 大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。 3 また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げねばなりません。 4 また、この光栄ある任務を、だれも自分で得るのではなく、アロンもそうであったように、神から召されて受けるのです。 5 同じようにキリストも、大祭司となる栄誉を御自分で得たのではなく、 「あなたはわたしの子、 わたしは今日、あなたを産んだ」 と言われた方が、それをお与えになったのです。 6 また、神は他の個所で、 「あなたこそ永遠に、 メルキゼデクと同じような祭司である」 と言われています。 |
第二朗読 任命する・カシステーミ この動詞は、まず「置く、持ってゆく」を意味しますが、新約聖書ではこの意味で用いられるのは一例だけです。ベレアで騒動が起こったために、パウロに「付き添った人々」(パウロを「持ってゆく人々」)は、彼をアテネまで連れてゆきました(使17:15)。 次に、「立てる、任命する」の意味で用いられます。主人は忠実で賢い僕を使用人たちの上に「立て」、全財産を「管理させ」(全財産の上に「立て」)ます(マタ24:45、47並行)。ファラオはヨセフを大臣に「任命し」(使7:10)、教会は霊と知恵に満ちた七人に日々の分配の仕事を「任せ」ました(使6:3)。 さらに、誰かを何かに「する」、何かであるように「働きかける」を意味します。一人の人の不従順によって多くの人が罪人「とされた」ように、一人の従順によって多くの者が正しい者「とされ」ます(ロマ5:19)。 今週の朗読は、大祭司は「神に仕える職に任命されています」と述べますが、直訳すると「神のもとへのことに立てられる」となります。まさに大祭司は、神の前に立つために任命された者です。 |
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今週の福音 マルコによる福音書 10章46―52節 46 一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。 47 ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。 48 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 49 イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」 50 盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。 51 イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。 52 そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。 |
今週の福音 叫ぶ・クラーゾー この語はまずは「大声で(意味不明の言葉で)叫ぶ・わめく」ことを表します。例えば、汚れた霊に取りつかれた男は昼も夜も墓場や山で「叫んでいた」し(マコ5:5)、夜、湖上を歩いて近づくイエスを見た弟子たちも恐怖のあまり「叫び声を上げました」(マタ14:26)。 しかし、意味明瞭な言葉で「叫ぶ」こともあります。イエスにいやしを求める者は、今週の福音のように、憐れんでください、と「叫びます」(マコ9:24)。しかし、悪霊が「叫ぶ」ときには、かまわないでくれ、あなたは神の子、となります(マコ3:11、5:7)。また、イエスのエルサレム入城の際には、ダビデの子にホサナ、と「叫んだ」群衆ですが(マコ11:9)、十字架の前では、十字架につけろ、と「叫びました」(マコ15:13)。 ヨハネ福音書では「神に関する事柄を公言する」の意味で使われます(ヨハ1:15、7:28、12:44)。 このようにいろいろな叫びがありますが、共通しているのは「強い主張」を表すことです。 |