B年年間第33主日
多くの者の救いとなり永遠に神の右の座に着き四方から呼び集める

第一朗読
ダニエル書 12章1―3節

1 その時、大天使長ミカエルが立つ。
   彼はお前の民の子らを守護する。
   その時まで、苦難が続く
   国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。
   しかし、その時には救われるであろう
   お前の民、あの書に記された人々は。
2 多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。
   ある者は永遠の生命に入り
   ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
3 目覚めた人々は大空の光のように輝き
   多くの者の救いとなった人々は
   とこしえに星と輝く。
第一朗読 

   輝く・ザーハルT

 BDBと略称されるヘブライ語辞典によると、この語(ザーハルT)には同音異義語(ザーハルU)があり、ザーハルUの意味は「訓戒する」だとされています。例えば、エゼ3:18「…もしあなたがその悪人に<警告して>、悪人が悪の道から離れて命を得るように<諭さ>ないなら…」とありますが、傍線をつけた言葉はどちらもザーハルUです。
ザーハルに「輝く」の意味があるのは、同根の名詞ゾーハルが「光輝」を指すことから明らかです。例えば、エゼキエルが幻のうちに見た神の姿を「…腰から上は琥珀金の輝きのように<光輝>に満ちた有様をしていた」(エゼ8:2)と描写するときに使われています。この名詞ゾーハルは今週の朗読の3節「<光>のように輝き」でも使われています。
 しかし、かなりの学者は、BDBとは違って、ザーハルをザーハルTとザーハルUに分けずに、同じ動詞として扱っています。これが正しければ、今週の朗読でも、「光を与えて理解させる」といった意味になります。なお、BDBがザーハルTに分類する用例は、今週の朗読の箇所に限られています。
 

 

第二朗読
ヘブライ人への手紙 10章11―14・18節

 11 すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。
12 しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き
13 その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。
14 なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。
 18 罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。
第二朗読 

   完全な者とする・テレイオオー

 この語は名詞テロス〈終わり、目標、完成〉から派生した動詞であり、「目的にまで到達させる、完了させる」を意味します。新約聖書では23回用いられ、多くの用例がヘブライ人への手紙とヨハネ文書に見られます。
 特に、ヘブライ人への手紙の用例のほとんどは祭儀的な意味合いで用いられ、「聖別する、清める」という意味で人を完全にし、旧約の祭司のように、神の前に立てるようにするという意味を持っています。キリストは苦しみを通して「完全な者とされた」救いの創始者であり(2:10)、「完全な者となられた」ので、御自分に従順であるすべての人々に永遠の救いの源となりました(5:9)。古い契約の大祭司はいけにえをささげても、良心を「完全にする」ことができず(9:9、10:1)、大祭司キリストだけがただ一回のささげ物で彼の民を「完全な者にする」ことができました(10:14)。キリスト者が「完全な者」と呼ばれるのは高潔であるからではなく、その罪の清めをキリストが完了したからであり、もう二度と罪の清めのためのいけにえをささげてもらう必要ないからです。
 

 

今週の福音
マルコによる福音書 13章24―32節

24「それらの日には、このような苦難の後、
      太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
25 星は空から落ち、
   天体は揺り動かされる。
26 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
27 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
 28 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
29 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
30 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
31 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
 32 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。
今週の福音 

   苦難・スリープシス

 この語は動詞スリポー〈圧迫する〉の名詞形で、陣痛の苦しみ(ヨハ16:21)、飢饉の苦しみ(使7:11)、結婚生活の苦労(1コリ7:28)、やもめの苦労(ヤコ1:27)など広く「苦境・苦しい試練」を表しますが、聖書のメッセージと密接な関係を持つ用例も多く見られます。
 まずキリスト者が受ける「(迫害の)苦しみ」を表します。キリスト者にとって「苦難」は定めであり(1テサ3:3以下)、宣教者パウロも(2コリ1:8)宣教を受け入れた教会も「苦難」にさらされます(フィリ4:14)。しかし、この苦難はキリストの「苦しみ」にあずかり、復活の命に入るための道です(2コリ1:8-10、フィリ3:10-11)。
また今週の福音のように終末時に世界全体を襲う大きな「苦難」を表します(24節)。この苦難は具体的には戦乱・地震・飢饉・迫害・偽メシアの誘惑という形をとりますが(マコ13:5以下)、この苦しみは、到来する人の子が救いをもたらす時の前触れなので(26-29節)、目を覚まして待ち受けます(33節)。



 

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