C年年間第26主日
サマリアの山で安逸をむさぼる者は命をお与えになる神の御前でもだえ苦しむ

第一朗読


アモス書 6章1a、4―7節

1a 災いだ、シオンに安住し
    サマリアの山で安逸をむさぼる者らは
4 お前たちは象牙の寝台に横たわり
    長いすに寝そべり
    羊の群れから小羊を取り
    牛舎から子牛を取って宴を開き
5 竪琴の音に合わせて歌に興じ
    ダビデのように楽器を考え出す。
6 大杯でぶどう酒を飲み
    最高の香油を身に注ぐ。
    しかし、ヨセフの破滅に心を痛めることがない。
7 それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行き
    寝そべって酒宴を楽しむことはなくなる。

第一朗読

災いだ・ホーイ

 この語は旧約聖書で51回使われますが、王上13:30以外は、すべて預言書での用例です。王上13:30「<なんと不幸なことよ>、わが兄弟」では、死んだ人をいたむ間投詞として使われていますが、預言書にも同じような用例が見られ、エレ34:5「人々は、あなたのために香をたき、『<ああ>、王様』と言って嘆くであろう」はこれに属しています。
 このような用例から進んで、神からの懲らしめを導入するための間投詞として使われます。例えば、イザ1:4「<災いだ>、罪を犯す国、咎の重い民。…彼らは主を捨てた」とか、イザ5:8「<災いだ>、家に家を連ね、畑に畑を加える者は」とか、イザ45:9「<災いだ>、土の器のかけらにすぎないのに、自分の造り主と争う者は」のような用例です。
 しかし、イザ55:1「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい」では、訳出されていませんが、冒頭にこの語が置かれており、もはや嘆きの意味合いは消え、相手への積極的な呼びかけとなっています。

 

 

第二朗読

テモテへの手紙一 6章11―16節

 11 しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。12 信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。13 万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。14 わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。15 神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、16 唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。

第二朗読


避ける・フェウゴー

 まず、文字どおりに、危険から「逃げ出す」を意味します。ヨセフはヘロデを避けて、幼子イエスとマリアを連れてエジプトに「逃げ」(マタ2:13)、イエスが逮捕されたとき、弟子たちはイエスを見捨てて「逃げ出しました」(マタ26:56)。
 次に、「逃れる、免れる」を意味します。洗礼者ヨハネもイエスも、ファリサイ派の人々に、差し迫った神の怒りを「免れる」と誰が教えたのか、と警告します(マタ3:7、23:33)。
 また、道徳的に悪いものを「避ける」を意味します。「避ける」べき悪徳は、みだらな行い(1コリ6:18)、若い頃の情欲(2テモ2:22)などです。
 さらに、「消滅する、見えなくなる」を意味します。終わりの日には、島が「逃げ去り」、山々も消え失せます(黙16:20)。
 今週の朗読が、異なる教えや金銭の欲を「避けなさい」と命じるのは、これらに危険が潜んでいるからです。異なる教えを説く者は満ち足りることを知らず、人を滅亡と破滅に陥れるさまざまの欲望へと導きます。真に恐れるべき危険を見極める目が求められています。

 

 

今週の福音

ルカによる福音書 16章19―31節

 19「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。20 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、21 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。22 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。24 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』25 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。26 そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』27 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。28 わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』29 しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』30 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』31 アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」

今週の福音


金持ち・プルーシオス

 この語は宗教的な意味での「豊かさ」を表すこともあります。例えば、神は憐れみ「豊か」であり(エフェ2:4)、キリストは「豊か」であったのに、貧しくなった(2コリ8:9)といった用例です。
 しかし、多くは文字通りの意味で使われ「財産の豊かさ=金持ち」を表します。イエスの遺体を引き取ったアリマタヤのヨセフ(マタ27:57)や、神の救いにあずかった徴税人の頭ザアカイ(ルカ19:2)のような「金持ち」もいますが、「金持ち」が神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい(マコ10:25)とイエスが言われるように、富を持つことは神との関わりを疎かにさせ、隣人との関係をないがしろにさせる原因になりかねません。そこで、永遠の命への道をイエスに尋ね求めた「金持ち」が、財産を売り払って貧しい人に施せ、と聞くと悲しみながら去ってゆきました(ルカ18:23)。
 今週の福音でも、生前に貧しい者への配慮を欠いたがゆえに、死後に陰府で苦しむ「金持ち」が登場します。


 

 

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