C年年間第33主日
到来するその日主イエス・キリストに結ばれて命をかち取りなさい

第一朗読


マラキ書 3章19-20a節

19  見よ、その日が来る
     のように燃える日が。
     高慢な者、悪を行う者は
     すべてわらのようになる。
     到来するその日は、と万軍の主は言われる。
     彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。
20a しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには
     義の太陽が昇る。
     その翼にはいやす力がある。

第一朗読

炉・タッヌール

 この語は「」とか「かまど」を表します。それは家の中にあって(出7:28)、パンや(ホセ7:4)、穀物の献げ物(レビ2:4)を焼くために使われ、ときには壊れてしまうこともある家財道具です(レビ11:35)。
 しかし、神の現存を示す象徴として使われることもあります。創15:17に「日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、<煙を吐く炉と燃える松明>が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた」とありますが、ここでの「炉」は「松明」とともに、神の現存を示しています(傍線部の直訳は「煙の炉と火の松明」となる)。
 直喩として使われると、哀5:10「皮膚は炉のように焼けただれている」のように「熱」を表したり、詩21:10「主よ、あなたが怒りを表されるとき、彼ら(敵)は燃える炉に投げ込まれた者となり、怒りに呑み込まれ…」では、「裁き」を表したりします。
 今週の朗読では、詩21:10のように、神の裁きを表す直喩として用いられています。神への信頼が薄れ、自己中心的に生きる社会を批判し、「炉のように燃える日」の到来をマラキは告げます。

 

 

第二朗読

テサロニケの信徒への手紙 U 3章7―12節

 7 あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。8 また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。9 援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。10 実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。11 ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。12 そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。

第二朗読


パン・アルトス

 この語はまず、文字どおりに「パン」を表します。「パン」は大麦や小麦の粉に酵母を入れて、厚さ2ミリから1センチ、直径20から50センチ位の丸形に焼き上げられ、食べる時には、家長が食べやすい大きさに裂いて配りました。イエスは最後の晩餐でも、五千人にパンを与えるときにも、家長がそうするように、パンを取り感謝の祈りを唱えてから、裂いて渡しています。子供がパンを求めるなら、誰も断らない大切な食べ物であり(マタ7:9)、洗礼者ヨハネはぶどう酒と共にそれを断ちました(ルカ7:33)。
 次に、一般的に「食べ物」を表します。人は日々「糧」を祈り求め(ルカ11:3)、弟子たちは宣教に向かうとき「パン」を持つことを禁じられます(マコ6:8並行)。またヨハネ6章では、イエスの与えるパンは「天からのパン、命のパン、生きたパン」と呼ばれ、人々を永遠の命にあずからせるイエス自身を表します。
 今週の朗読は、落ち着いて働いて自分で得た「パン」を食べなさいと命じます。日常の生活に心を向け、静けさを持つことができるのは、主イエスが与える糧によって日々養われているからです。

 

 

今週の福音

ルカによる福音書 21章5―19節

 5 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。6「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」
 7 そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」8 イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。9 戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」10 そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。11 そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。12 しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。13 それはあなたがたにとって証しをする機会となる。14 だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。15 どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。16 あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。17 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。18 しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。19 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

今週の福音


世の終わり・テロス

 この語は「税金」を表すこともありますが(マタ17:25)、ほとんどの用例では「終わり」を意味します。まず(1)「(一連の出来事の)終了・終結」を意味します。いと高き方の子の支配に「終わり」はなく(ルカ1:33)、メルキゼデクには命の「終わり」もありません(ヘブ7:3)。
 次に(2)「(一連の出来事の)最後の部分・終末」を表します。神は初めであり、「終わり」です(黙21:6)。パウロはロマ10:4で「キリストは律法のテロスであり、信じる者に義をもたらす」と述べますが、ここでのテロスが(1)であれば、「神の義が律法の業とは無関係に、キリストを信じるものに示された」の意味ですが、(2)であれば、「律法は人をキリストのもとへと導く養育係」ということを表します。今週の福音では、この語だけで「世の終わり」を意味しています。
次に(3)「(何かがそこへと動く)目的・目標」を表します。裁判の「結果」(マタ26:58)、信仰の「実り」(1ペト1:9)を表します。十字架に敵対する者の「行き着くところ」は滅びです(フィリ3:19)。


 

 

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